第23回
黄泉の国 千引の岩 看板設営
古事記に書かれる「千引の岩」看板が,2005年4月3日に那賀町(旧相生町)内山に設置される。(以下,文面)
日本最古の歴史書『古事記』によると国造りの途中で亡くなった妻,伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って黄泉(よみ)の国の比婆山(ひばやま)へ会いに行った伊邪那岐命(いざなぎみこと)は,「見てはいけない」と言われた妻の醜(みにく)い亡骸(なきがら)を見たため妖怪(ようかい)達に追われるはめとなった。
逃げる途中に投げつけた,髪(かみ)を束(たば)ねた葛(かずら)や櫛(くし)が,山葡萄(やまぶどう)や竹の子に変わる。それを追っ手が食べる間に逃げたが,なおも追ってくるので坂本にあった桃の実を投げつけると追っ手は逃げ帰ってしまった。最後に伊邪那美命(いざなみのみこと)が追いかけてきたので,伊邪那岐命(いざなぎみこと)は,千人で引くような大岩で道をふさ塞いだ。
黄泉(よみ)の国から逃げ帰った伊邪那岐命(いざなぎみこと)が,竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あわきはら)で,禊(みそ)ぎ祓(はら)いすると天照大御神(あまてらすおおみかみ)と月読命(つきよみのみこと)と須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれた。と古事記に書いてある。
『古事記』の物語は,徳島県内の地名に当てはまる所が多く,上記の物語は,徳島県の山川町から阿南市見能林町までの地域を舞台として繰り広げられた物語と考えられる。
平安時代に書かれた『延喜式(えんぎしき)神名帳』(九二七年)には,全国に一社のみ,伊射奈美(いざなみ)神社が記録され,徳島県美馬市以外にはない。
黄泉(よみ)の物語は,この式内社 伊射奈美(いざなみ)神社がある穴吹町舞中島から始まり,高越山(こうつざん)を経て
「カズラを投げたら実が生った」と書かれる上勝町には,雄中面(おなかづら)・生実(いくみ)の地名があり,相生町竹ガ谷の旧八面(きゅうやつら)神社には,
「櫛(くし)から竹の子が生えた」と書かれる竹を型取った燈籠(とうろう)がある。
「桃を投げた」と書かれる丹生谷(にゅうだに)地域には,百合(もあい)・桃の木坂・桃付等の地名があり,神社には桃を型取った木彫りや瓦がある。また,相生町には,昔からヨミ坂と呼ばれる坂もある。
黄泉(よみ)の坂を逃げ帰った伊邪那岐命(いざなぎみこと)が,四国最東端の阿南市見能林町(打樋(うてび)川)で,禊(みそ)ぎ祓(はら)いをすると天照大御神(あまてらすおおみかみ)と月読命(つきよみのみこと)と須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれた。
以上のことから,この大岩群は『古事記』等に書かれる「千引(ちびき)の岩(いわ)」にあてはまる。