〜日本最古の歴史書・古事記には,阿波のことが書かれています。〜 |
第91回〜第100回 |
|
第101回
竺紫の日向の禊ぎ(2) 飽咋之宇斯能神
阿南古事記研究会の会員,請田和彦氏が阿南市にある
袙
海岸について調べていた。袙とは,装束の中着のこととあり,さらに調べていると「のうし(直衣)」という言葉にいきあたった。
|
||||||
第102回 御大之御前(みほのみさき)その2 2011年9月21日台風15号は,阿波にも大雨を降らし過ぎ去った。徳島市のシンボル眉山は,まるで海に突き出した大きな岬のようである。これが古事記に書かれる御大之御前(みほのみさき)であることは,「阿波と古事記」第82回に書いたが,徳島古事記研究会元会長の佐藤文昭氏から「阿波志」に 八幡祠 と書かれている事を教えられた。 【阿波志】
|
||||||
第103回
大嘗祭と高天原 「古事記・日本書紀」は,「高天原の文化が広がり,日本の文化になった。」ということが本旨であり,「天皇は,その根源から繋がり続いている。」という事を伝えている。そして日本国の天皇は,現在においても連綿と続いている。つまり,天皇は,高天原から繋がっていると言う事になるのである。
|
||||||
第104回 倭には,倭大國魂神社がある。 徳島県美馬市美馬町重清字東宮上3に,式内社の倭大國魂神社がある。周辺には「八幡古墳群」「大国魂古墳群」があり,古代から発展した地域である。
「倭(やまと)」といえば,一般には奈良と思うだろうが,なぜか阿波の美馬郡に「倭」の文字の付く神社があるのだろうか?しかも肝心の「倭」と思われている奈良の式内社二百八十六座の中に「倭」の付く神社は,倭恩智神社 奈良県天理市海知町32しか存在せず,大和坐大國魂神社 奈良県天理市新泉町星山306があるにはあるが,「倭」が「大和」と新しく発展した表記になっている事からも古代の「倭(やまと)」は,美馬市一帯のことである事は間違いない。 大國魂神社 等あるが,「倭」の付く神社は,阿波以外に見当たらない。しかし,「倭」であるにもかかわらず,天津神が祀らず,いずれの神社にも,大國主神や千戈大神,大己貴神など国津神である大国主神が御祭神として祀られているのは,国譲りの後,天津神が国津神の長(おさ)を倭國の長(おさ)として祀ったと考える。 |
||||||
第105回
天岩戸の秘文 「阿波礼」 斎部宿禰廣成は,「古語拾遺」の中で,天岩戸が開いた時の状況を伝えている。日本人は,古来から精神文化の高みに至っていたということを改めて知ることができる。 阿波禮【言天晴也】 阿那於茂志呂【古語 事之甚切 皆稱阿那 言衆面明白也】 阿那多能志【言伸手而舞 今指樂事謂之多能志 此意也】 阿那佐夜憩【竹葉之聲也】 飫憩【木名也 振其葉之調也】 阿波禮(あわれ)とは,「折に触れ,目に見,耳に聞くものごとに触発されて生ずる,しみじみとした情趣や哀愁」。つまり,現れてきたものを気づき感じることである。 阿那於茂志呂(あなおもしろ)は,ああ面白い。 そこで,私は下記のように訳してみた。 阿波は,ことにおいて 人間が生きる究極のことを謡ったものである。人は浮世に流され,喜怒哀楽に浮き沈みし一生を送っている。しかし,誰もが阿波礼を感じて生きていたいと願っている事である。 |
||||||