〜日本最古の歴史書・古事記には,阿波のことが書かれています。〜 |
第71回〜第80回 |
第81回 阿波の新酒 高志のを呂智(おろち)
徳島県名西郡石井町の鳴門金時蒸留所から,「古事記」の
八俣
の
大蛇
に因んだ焼酎,「
高志
の
を呂智
」が発売される。
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第82回
御大之御前(みほのみさき)その1
大国主神が,出雲の
御大之御前
にいた時,波の穂より,
天之羅摩船
に乗り漂着した神は,少名毘古那神。」と「古事記」に書かれている。
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第83回
事代主神と鮎占い
御大之御前
といえば,えびすさん(事代主神)が鯛を釣っているというイメージが浮かびあがる。しかし事代主命の生まれた地は,式内社事代主神社のある勝浦町である。勝浦には海が無いので,川で鯛を釣る事はできない。(第76回 式内社 事代主神社 参照)にもかかわらず,なぜえびすさんが海で鯛を釣るようになったのだろうか?
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第84回 天照大御神と高御産巣日神
天照大御神
が
天岩戸
に
籠
った後,再び現れ「『
豊葦原
の
千秋長五百秋
の
水穂國
は,
我
が
御子
,
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
の知らす國ぞ。』と言よさしたまひて」と「古事記」に書かれている。天照大御神の単独で詔を発するのは二カ所で,その他の七カ所では,天照大御神の
詔
(
命令
)を
高御産巣日神
が述べているのだから,天照大御神は天岩戸にお隠れになり,代わって高御産巣日神が,「この
葦原中國
は,我が御子の知らす國と
言依
さしたまへりし國なり。
故
,この
國
に
道速振
る
荒振
る
國
つ
神等
の
多
なりと
以爲
ほす。これいづれの神を
使
はしてか
言趣
けむ。」と天照大御神の詔を述べたと考えられる。
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第85回
高千穂峰(気延山)その1
日子番能邇邇藝命
に
詔科
せて,「この
豊葦原水穂國
は,
汝
知らさむ國ぞと
言依
さしたまふ。故,
命
の
隨
に
天降
るべし。」と命令され,高天原から出雲にある「
竺紫
の
日向
の
高千穂峰
」に降りて来たことが,「古事記」に書かれている。
【高千穂峰の該当する条件】 徳島県徳島市国府町と名西郡石井町にある標高212.3mの
気延山
周辺には,古墳が200基あると言われている。その数を知るだけで,いかに尊い山であるかが想像される。この山には,天岩戸を別けた,阿波一宮で式内社である
天石門別八倉比売
神社がある。
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第86回
天津神 ・国津神 その2 国津神 イザナギ
第74回で,イザナギ神は国津神である事を書いたが,通説では,天津神は高天原にいる,または高天原から天降った神の総称,それに対して国津神は地に現れた神々の総称とされているので,イザナギ神は天津神であると考えられている。
天津神 国津神 しかし,高天原と出雲に住み分けていた神々を区別しているのであれば,天津神から国津神がわかれた事になる。つまり,天津神のイザナギから国津神が生まれた事になる。それでは同族が,なぜ国津神になったのか説明がつかない。
【古事記に書かれる神々の系譜】 |
第87回
天津神・国津神 その3 天照大御神 第77回で「天照大御神は国津神」を書いた。天照大御神は,通常では天津神と考えられているが,天照大御神は,国津神,イザナギの子供である。
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第88回 天津神・国津神 その4 高御産巣日神 『古事記』に天地開闢の時,最初に
天御中主神
が現れ,次に
高御産巣日神
,
神産巣日神
と共に高天原に現れたと書かれている。
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第89回
天津神 ・国津神 その5 高木神
祭りは,常緑樹のひもろぎ(神籬)を立て,それを神座(神の
依
り
代
)として始まる。
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第90回 高千穂峰(気延山)その2 天孫降臨は,出雲の地へ 事代主神は「この國は,
天
つ神の
御子
に
立
奉
らむ。」と父親の大国主神に葦原中国を譲るように勧める。
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