「先生、そろそろ12時になりますけど、お食事どうなさいますか?」
「あら、もうそんな時間なの? でも、しばらく手が離せそうにないのよねぇ……。私のことは気にしなくていいから、栗山さんはちゃんとお昼休みは取って頂戴ね」
「でも……」
「大丈夫よ。私も何か口にするようにするから」
今日の先生は朝から大忙し。
金曜日だということもあるけど、何よりも、普段なら残業しなければならないほどの仕事量だというのに、17時までには全ての仕事を終わらせようと、いつも以上に頑張っているから。
なぜなら、今夜の家族揃っての夕食会の約束のために……
毛利さんの話題になると憎まれ口を叩いたりしているけど、でも、本当は誰よりも毛利さんのことを気に掛けているんですよね。テレビや新聞で毛利さんの活躍ぶりが紹介される度に、先生はとびっきりの笑顔を浮かべるし。その様子は夫婦って言うよりは、まるで付き合い始めた恋人のようだから。
「では先生、私、外で何か買ってきますね」
ああは言っても、先生はきっとお昼を抜いてしまうだろうから、返事を聞く前に私は事務所を飛び出した。先生の好きそうなものを適当に見繕って、数分後、事務所に戻ると、先生の話し声が。どうやら、電話中らしい。
「そう、わかったわ」
『・・・』
「蘭とコナン君のことは、任しておいて頂戴。待ち合わせの時間も場所もそのままでいいのよね?」
『・・・』
「もういいわよ、それくらいで」
『・・・』
「ええ、それじゃあ」
電話はどうやら毛利さんからで、急用が出来たらしく、今夜の夕食会は毛利さん抜きとなったよう。電話を終えた途端、先生の肩から力が抜けていく様子がはっきりと見てとれた。
「あのー」
「あら、ごめんなさい、気が付かなくって……」
「いえ……、電話は毛利さんからですか?」
「ええそう……、何でも急に急ぎの依頼が入ったから、今夜の約束はあの人抜きにして頂戴って。まさか、あの人の方からキャンセルされるとは思ってもみなかったわ……」
そう言えば、今までこういう約束がキャンセルになった時、理由はいつも先生の方だったっけ。
「嫌味の一言でも言おうかとも思ったのだけど、珍しくあの人が平謝りするものだから、何だか言いそびれちゃったのよね……」
そう言った先生の声には力は無く、その姿はまるでぬけがらのようで。そんな先生を見たのは初めてだったから、掛けるべき言葉に迷ってしまった。
「あのー、先生。つい先日オープンした角のカフェで評判だというベーグルサンドを買ってきたんですけど、一緒にどうですか? もちろん、コーヒーもあります」
結局、当たり障りの無い言葉を選ぶしかなくて。
「そうね。電話のせいで何だか集中力も切れちゃったし、このままお昼にした方が良さそうね。ありがとう、栗山さん」
「いえ、私は別に何も……」
「あら、評判になるだけあって、本当に美味しそうね……」
気が付けば、先生はいつもと変わらない笑顔に戻っていた。
そして、束の間の食事も終わり―――
「栗山さん、午後の最初の予定はどうだったかしら?」
「はい。1時半に長谷川さんとの打ち合わせとなってます」
「ああ、奥さんと離婚して、若い部下の女の子と再婚したいとかワガママを言ってるあの人! そう、あの長谷川さんね……」
私にはこの時、先生が語尾を濁らせた理由がわからなかったけど、その長谷川さんとの打ち合わせの様子でやっと理解した。
元々、クライアントとは言え、長谷川さんに対して先生は厳し目に接してはいたけど、この日はいつもとは比べ物にならないほどの強い口調で。あまりの迫力に、長谷川さんはすっかり拍子抜けしてしまっていた。気の毒のようにも思うけど、タイミングが悪過ぎましたね。
法曹界の女王と呼ばれている時の先生も好きですけど、今日のように純粋な面を見せるちょっと可愛い先生も私は好きだったりします。
「ぬけがら」とは縁遠そうな英理さんで書いてみたんですが……、失敗しました(苦笑)。
最初は目暮警部あたりで書こうと思っていたんですけどね。