「新一?」
「ああ、悪い……」
蘭が心配そうな顔で近づいてくる。
どれくらい、そうしていたのだろう?
知らず知らずにうちに俺は、門扉に体を預け、生まれ育った家をただ見つめていた。
「どうかした?」
「いやさ、あと数日後には、ここが “俺の家” になるって言われても、何かピンとこないっていうかさ……」
土曜日のこの日、蘭は珍しく、朝から英理さんと連れ立ってやってきた。
その目的は、父さん名義のこの家を俺の名義に変更するのに必要な書類を揃えるためで。俺は指示されるままに書類に署名捺印を済ませた。何とも表し難い違和感を最後まで拭えないままに。
『法曹界のクイーン』と呼ばれて久しいだけに、英理さんにとっては休日はあって無いようなものなのだろう。この日も3人で昼食を一緒にと誘ったのだが、この後予定があるからと断られてしまった。
まあ案外、俺たちに気を使っての言葉だったのかもしれないが。
その後、蘭と二人、英理さんの背中が見えなくなるまで見送って。俺は向き直るとそのままかなりの間、一人その場に立ち尽くしていたらしい。
「一国一城の主になるのが、そんなに不安?」
「不安とか、そういうのとは違うんだけどさ……」
リビングに戻ってからも俺はずっと物思いに耽っていたようで。蘭は淹れたてのコーヒーを手に、遠慮がちに俺の隣に座った。
「一国一城の主か……」
コーヒーを一口含み、俺は大きく息を吐き出した。
「ガキの頃からこの家は俺の家であっても、俺のものではないって漠然と思っててさ。あくまで父さんの家なわけだろ?」
「あ、うん」
「だから、大学を卒業したらこの家を出て、近くにマンションでも借りて、そこで蘭と暮らすことになるんだろうってずっと思ってた」
「な、なんで急にそこで、私の名前が出てくるのよ!?」
頬を赤く染め、まるで意味の無い抗議をする姿が何とも可愛らしくて、思わず蘭の額の唇を落とした。突然のことに、蘭は少しムッとして。
「まあまあ、そこまでムキになるようなことじゃねーだろ?」
「う、うん……。ねえ、いつからそんな風に思ってたの?」
「そうだなぁ、多分、小学生くらいからじゃねーか?」
「そんなに前から、ずっと?」
「まあな」
蘭は半ば呆れがちに、けれど、その頬は紅潮したまま、小さく溜め息を零した。
「けどさぁ、そんな未来を想像してみようとしても、なぜかいつも思い浮かぶのは、この家の光景でしかなくてさ。蘭が作ってくれた料理を食べて、こうして肩を並べてソファーに座ってテレビを見て、いずれ子供が出来たら庭でサッカーボールを蹴ったりして。全部が全部、この家での光景なんだよな……」
俺はゆっくりとリビングを見渡す。
そのまま暫らく沈黙が続いた。
「新一の気持ち、私にも少しわかるような気がする……」
「蘭?」
「新一みたいにハッキリと思っていたわけではないけど、私もいつの頃から、将来結婚したら、こういう家に住みたいなってずっと憧れてきたから」
「憧れ?」
「うん。だから、おじさまからこの家の名義変更の申し出があった時、凄く嬉しかったよ。色々な想い出がたくさんあるこの憧れの家に住めるんだって。でもね、嬉しさと同じくらいに不安もに感じた。責任重大だなって」
蘭は少し困ったように微笑って、俺と同じようにリビングを見渡した。
「上手く言えないんだけど、私たちにもおじさまたちのようなあの素敵な雰囲気を作り出せるのかな、おじさまたちが作ってきたものを守っていけるのかなってね……」
「フッ」
「新一?」
「あ、悪い……。別に蘭の話を笑ったんじゃなくて、自分のガキっぷりに呆れたって言うのかさ……」
困惑する蘭をよそに、俺はしばし苦笑いを隠せなかった。
自分が建てたからといって、それで家が完成するわけじゃない。人から譲り受けたからって、自分の家になりえないわけでもない。家とは自分たちで時間を掛けて作り上げていくもの。そんな当たり前のことを忘れて、小さなことに意地を張っていた自分に、俺は心底呆れていた。
「守る必要なんてないよ、蘭。俺たちで時間を掛けて、この家の個性を作っていけばいいんだからさ」
「家の個性?」
「ああ。蘭が今までのような雰囲気が良いっていうなら、同じようにすればいい。違う雰囲気にしたいっていうのなら、別の個性を作り上げればいい。焦る必要なんて無い。ゆっくりと時間を掛けて作っていけばいいんだよ」
「そっか、そうだよね……」
蘭がホッとしたように微笑った。
そう。俺が見たいのは、蘭のこの笑顔。
俺が望むものは今も昔も変わらない。ただ蘭の笑顔を見続けていきたいと。そのためにこの家が必要だというのなら、必要なだけ利用すればいいだけのこと。迷う理由なんて初めから無かったのだ。
「それはそうと、そろそろ腹が減らねえ?」
「もうお昼だもんね。あ、でも、どうしよう? お母さんと一緒に外食の予定だったたから、材料とかあまりないかも?」
「外食とかデリバりーでも俺はいいけど?」
「うーん、でも……。そうだ! ねえ、お好み焼きなんてどう? お好み焼きなら冷蔵庫にある材料で何とかなるし、それに、昨日の夜の和葉ちゃんとの電話で、とっておきのレシピを教えてもらったんだ」
「だったら、ガキの頃みたいに庭にホッとプレートを出して焼くとするか?」
「うん!」
Influenced song : 家 〜 『ヒゲとボイン』
by UNICORN
このお話だけは、一応、メイン設定になっています。
留意の中では新蘭があの家以外で暮らすことが想像できなくて、そういった漠然としたイメージを書いてみたんですが、ある意味、見事なまでに小説までもが漠然としたものになってしまいました……(冷汗)。
あと、留意の今は無き生まれ育った家への思いなんかも投影させてたりするので、それで尚更、わかりづらくなったかも? この「家」という曲にも思い入れがあるもので、つい……。
ついでというか。
原作中でコナンは基本的に英理さんのことは「蘭の母さん」と呼んでますよね。ただ、それをそのまま文章に書いてしまうと何となく間抜けだったので、今回は英理さんという表現にしたんですが、これはこれで違和感ありまくりのような……。