街を行き交う人々の中に、振り袖姿ではしゃぐ女の子達が大勢目に入ってくる。

(そうか、今日は成人式だったのね。私もいつかこの国で、
あの子達のように成人式を迎える日が来るのかしら?)

そんな風に考えてみて、私らしくないと、自分でもおかしくなってしまう。
きっと、組織の呪縛から解放されたからなどと自分に言い訳をして、
私は再び人込みの中に溶け込んでいた。

fragile

Influenced song : FRAGILE  by 川本真琴

数日後のある日。

「もしもし、工藤君、私だけど。あなたにちょっと相談したい事があるから、時間を作ってもらえないかしら?」
「あん? 灰原が相談なんて、どういう風の吹き回しだよ」
「あら、失礼ね。けど、この話はあなたにとっても重要な事だと思うから、素直に応じた方があなたの身のためだと思うけど?」
「オメー、どういう意味だよ、それ」
「まあ、それは会ってからのお楽しみという事で……。ところで、いつなら都合が付きそう?」
「ったく……。じゃあ、明後日の午後、俺ん家でどうだ?」
「わかったわ。それじゃあ、明後日の午後に……」

私は迷っていた。ある意味、組織の追っ手に怯えていた時の方が、楽だったのかもしれない。
あの時は、灰原哀として本来の自分を隠して生きるしか選択肢が無かったのだから。

今のあなたは一体誰なの? 志保? それとも哀? あなたはこの先、どうするの?

ここのところ、私の心の中で聞こえる声。今の私に答えられるのは、当分の間はこのまま灰原哀として生きて行くって事くらい。私にはAPTX4869の解毒剤を飲んだ工藤君の経過を見守る必要があったから。
けれど、副作用の心配がなくなれば、私も決めなければならない。宮野志保に戻るのか、このまま灰原哀として生きていくのかを……

阿笠博士は『じっくりと時間を掛けて考えなさい。哀君の思うようにすればいいのじゃから』と言ってくれている。けれど、私の犯した罪はあまりにも大きなもの。どうやって償っていけば良いのか、そもそも、償いきれるものなのだろうか。知らなかったからなんて、言い訳にはならない。だって、多くの人の命を奪った毒薬を作っていたのだから。それに、命を奪う事は無かったにせよ、工藤君の事もある。彼とその周りの人間に与えた苦しみは相当なもの。その罪も、私は償わなければならない。

最近になってようやく私は気付いた。それは、私の工藤君に対して抱いていた想いの真意。
その真意に気付いた時、私はどうしても彼と彼女に謝らなければと思った。そうしなければ、私はこの先、前に進めないような気がして、これから、私はどうしたら良いのか決められないような気がして……

「で、何なんだよ、オメーの相談っていうのは?」
「あら、そんなに警戒しなくてもいいんじゃない?」
「オメーなあ、電話であんな風に言われて、警戒しないでいられる方が、普通、おかしーだろ?」
「そうかしら。まあ、いいわ。ところで、相談する前に一つあなたに謝らなければいけない事があるんだけど……」
「何だよ、その謝らなきゃなんねー事っていうのは?」

この日、彼の家の玄関先で私を出迎えてくれた工藤君は、訝しげな表情をしていた。先日の電話の内容を考えれば、それは仕方のない事。そんな表情も、私のこのまず謝りたいという一言で、一層、険しいものとなっていた。自分でももう少し上手に話を進められないのかしらと自嘲しつつ、彼への謝罪の言葉を口にし始めた。

「APTX4869の解毒剤なんだけど、私がその気にさえなればもっと前に作る事が出来たの」
「何だって?」
「杯戸シティホテルでのピスコの件の時、APTX4869のデータの入ったMOをホテルに置いてきたって言ってたけど、実はちゃんと持ち帰ってたのよ。だから、いつだって解毒剤を完成させられたっていう訳」
「テメー、一体、何のつもりでそんな大事な事を俺に黙ってたんだよ。まさか、博士もその事を知っていたなんて言わねーよな?」
「ええ、この事は博士にも黙っていたから、彼も知らなかったはずよ。それと、私がずっと黙っていたのは、あなたに無茶をして欲しくなかったから」
「どういう意味だよ? それ」
「だって、あなたがこの事を知ったら、間違いなく直ぐに工藤新一の姿に戻ろうとしたでしょ? 組織の事を何も掴めていない状態で元の姿に戻っていたら、あなただけでなく、私や博士、いいえ、それだけじゃないわ。私達に関わった全ての人間が、危険な立場に置かれる事になったのよ。その事を考えれば、とても言える事ではなかったわ」
「だとしても、オメー…」
「それに考えてもみてごらんなさい。いくら私が薬の開発者だからといって、一日やそこらで解毒剤を完成させられるはずが無いじゃないの。あなたほどの推理力を持ってすれば、それくらいのの事は、簡単に導き出せたんじゃなくって? それとも、早く元の体に戻りたいと気持ちが焦っていたばかりに、冷静な判断力を失ってたのかしら?」
「確かに、オメーの言う事にも一理あるが……」
「返す言葉が無いようね」

彼の表情にはありありと悔しさが滲み出ている。それもそのはず。彼が一番に望んでいた元の姿に戻ると言う事が、実はずっと前に可能だったのに、私がその事実を黙っていたと、今頃になって聞かされたのだから無理もない。ポーカーフェイスを保つ事が容易なはずの彼が、その感情をあからさまに表に出しているのだから、その悔しさは相当なものに違いなかった。
けれど、何かを思い出したのか、彼の表情がこんな言葉と共に、一瞬にして変わる。

「灰原、オメーだって、ベルモットとの対決の時の事、忘れてねーよな?」
「ええ」
「あん時のオメーは確か、死ぬ覚悟だったって後から俺に言ったよな?」
「確かに、あの時はそのつもりだったけど……」
「だとしたら、オメーはあの後、どうするつもりだったんだ? オメーの覚悟してた通り、死んでたとしたら」
「その時は、博士にAPTX4869のデータの入ったMOを渡して、解毒剤を作ってもらうつもりでいたわ。実際、 あの日、MOと共に解毒剤の作り方とその後の私の処遇についてお願いした手紙を、比較的わかりやすい所に置いておいたから……」
「オメーは、それで全ての事が解決するとでも思ってたのかよ。自分が死んで、APTX4869のデータさえ知らせておけば、後は何とかなるだろうとでも。それじゃあ、単なる逃げでしかなかったんじゃねーのか?」
「仕方がないじゃない。あの時は、それが最善の策だと思っていたんだから……」

「もう、いい。わかったよ、灰原。まあ、結果として組織は壊滅して、俺は元の工藤新一の姿に戻ったんだ。今更、過去の事をグダグダと言っても、しゃーねーだろ?」
「ゴメンなさいね、工藤君」

私には、この一言を言うのが精一杯だった。
これ以上の言葉を口にしたところで、何一つ変わらないと思ったから。工藤君もその辺りの事はわかっているらしく、それ以上の事は言わずにいた。

「ところで、工藤君。今日、私があなたにわざわざ時間を作ってもらったのは、この事を謝るだけじゃなくて、あくまで、あなたに相談したい事があったなの」
「相談?」
「ええ」

そう、私の目的は、彼への謝罪だけでなく、彼女への謝罪。

「前にあなたにお願いしたわよね? 私の正体を、宮野志保だっていう事を誰にも話さないでって」
「ああ」
「その事だけど、私の口から彼女にだけは話そうと思うの」
「彼女って、まさか、蘭か?」
「ええ、そうよ」
「何でまた、蘭には話そうなんて思ったんだよ?」
「そうね。このままでは、フェアじゃないと思ったから、っていう理由じゃダメかしら?」
「フェアじゃないって、どういう意味だよ」
「まあ、あの娘の苦しむ姿を目にしながら、その原因を作った私が、何も責められないのはどうかと思っただけよ。それに、彼女ならそう感単に誰かに口外するような事は無いでしょうしね」
「けど、灰原。それじゃあ、かえって蘭を苦しませるんじゃねーのか? 秘密を抱えさせちまうんだから。それに、蘭の事だ。オメーの正体を話したからって、責めたりはしないと思うけどな」
「あなたの言う通りかもしれないけど……、やっぱり、ダメかしら?」
「なあ、灰原。ひょっとして、オメー自身が誰かに話したいんじゃねーのか? 確かに、今の状態じゃ本来の宮野志保として接する事が出来る人間は限られているし、その人間の中にも、オメーと同年代で、しかも同性の奴はいねーからな。まあ、蘭なら、オメーの言う通り、誰かに口外する事はねーだろうし、俺や博士なんかに比べたら、話し相手にはなってくれるだろーけど……。でも、確か、オメーは蘭みたいなタイプ、苦手だったんじゃねーのか?」
「別に話し相手が欲しいと思った訳じゃないわよ。それに、彼女の事、前は確かに苦手だと思ってたけど、今はそんな風に思ってないし……」
「だとしたら、何で?」
「辛いのよ、何も知らない彼女の前で、灰原哀を演じ続けるのが……、他の誰よりもあの娘の前では……」
「灰原!? ……わかった、蘭に話せよ、オメーの好きなように。もし、そのせいでアイツが苦しむような事になったら、俺がちゃんとフォローしてやっから」
「ありがとう、工藤君。私のワガママだって事はわかってるの。けど、どうしても彼女にだけは…」
「わかってるって。それと、オメーもあんまり無理すんなよ。周りのみんなだってオメーの心配をするだろうから。確か、蘭は今日は部活に行っててもうすぐ終わるはずだから、何だったら、帰りにここに寄ってもらうか? この時間ならまだ外も明るいから、多少寄り道して遅くなったっておっちゃんに怒られるような事はねーだろうし」
「そうしてもらえるなら、私としても助かるけど……」
「なら、今、蘭の携帯にメールを送ってみるから、オメーは、蘭が来るまでここで待ってな」

そう言って、工藤君は私をリビングに残して自室に向かった。
あと1時間もすれば、あの娘がここにやって来る。そう思うと、私の緊張の度合いが高まっていくようだった。

何を恐れているの? これはあなた自身が望んだ事でしょ?

心の中でもう一人の私が、そう問い掛けてくる。そう、これから私が話す事は、私なりの彼女に対する精一杯の謝罪。最近になって、私がやっと見出した答えなのだから……

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