チャイムの音と共に聞こえてきた二人の声に、私はフゥと小さく溜息を付く。中に入ってきた彼女は何も聞かされていなかったようで、リビングにいた私の姿を見るなり、少し驚いた表情を見せた。が、直ぐにいつも通りの笑顔で私に微笑みかけた。

「こんにちは、哀ちゃん」
「こんにちは」

そんな簡単な挨拶でさえ、今の私にはぎこちなさが残ってしまう。
そんな私の様子を察してか、工藤君がこの日の私の目的を彼女に説明し始めた。

「実はな、蘭。今日、こうやってオメーにうちに寄ってもらったのは、灰原が蘭に話したい事があるっていうからなんだ。部活で疲れてるところ悪いが、話を聞いてやってくれるか?」
「哀ちゃんが私に話?」
「ああ」
「私は別にいいけど……、でも、何で新一の家で? それに私になの?」
「それは、これから話を聞けばわかるから。じゃあ、俺は書斎にこもるから、話が終わったら呼んでくれ。それで、いいよな? 灰原」
「ええ」

そう言って、工藤君は3人分のコーヒーを用意して自分は書斎へと向かった。
二人きりになった状況が、彼女には不思議で仕方がない様子。とりあえず、向かい合わせになるように座って、私は静かに話し始めた。

「あなたの姿を最初に見たのは、新聞の中でだったわ」
「新聞?」
「ええ。10億円強奪犯の広田雅美の死体の前で、江戸川君に寄りかかっていた姿。それが、私のあなたとの出会い」
「哀ちゃん?」

「あの時の犯人は、本当は広田明美なんかじゃなく、宮野明美っていう名前なの。そして、彼女は、私のたった一人の肉親だったお姉ちゃん」
「えーと、じゃあ、哀ちゃんの名前って……」
「そう、偽りの名前。江戸川君と同じようにね」
「コナン君と同じ?」
「私の本当の名前は、宮野志保っていうの。そして、私も江戸川君、いえ、工藤君と同じようにAPTX4869で幼児化して、今の姿になったって訳よ。宮野志保の本来の年齢は、18ってところかしら」
「どうして、哀ちゃんが? いいえ、志保さんって言った方がいいのかしら? そんな毒薬を飲まされるような事になったの? 前に新一から、家族の方がその組織の人間だったと聞いてはいるけど……」
「今まで通り、哀で構わないわ。それと、質問の答えだけど……、それは、私が薬の開発者だったから」
「えっ?」
「私自身もかつては組織の一員だったの。コードネームは“シェリー”。組織では、両親の後を継いでAPTX4869の研究をする科学者で……」

こうして私は、組織内での自分の立場や、何故、組織を逃げ出して工藤君を頼ってきたのかを一気に話した。工藤君の事を既に知っていた彼女は、さほど驚く様子も見せずに、ただ、静かに私の話に聞き入っていた。

「そうだったの。通りで哀ちゃんが歩美ちゃん達よりも、やけに落ち着いていたのね」

一通り話し終わった後に発せられた彼女の言葉からは、嫌悪感は感じられない。むしろ、納得していたかも知れない。そんな風に思いながら、私は本題へと話を進める。

「何故、あなたにこんな話をしようと思ったのかというと……。それはね、蘭さん。あなたに謝りたかったからなの」
「えっ? 私に謝るって?」」
「実を言うと……、私、工藤君の事が好きだったの、ずっと。でも、勘違いしないでね。あくまで過去形の話。今は、何とも思ってないから。今となっては、ホント、笑い話でしかないけど、私がずっとあなたに素っ気無く接していたのは単に嫉妬してたからなの」
「哀ちゃんが新一の事を?」
「組織が壊滅した今になって気付いたんだけど、私の抱いていた工藤君への想いって、単なる独りよがりな勘違いだったようね。私は生まれた時から組織にいたし、両親を早くに亡くしていたから、頼れる人間は姉くらいしかいなかったの。けど、その姉も組織の人間に殺されてしまったから、誰も頼れる人がいなくなって……。そんな時にもしやと思って頼ったのが工藤君だったわ。彼は、ほら、誰に対しても優しい人だから、私はそんな彼の優しさに甘えてしまってたのね」
「甘えてた?」
「そう、けれど、彼の心の中にはいつだってあなたがいたから。どうにもならないってわかっていながら私も自分の想いを抑えきれなくなって、だから、あなたを避けるような事をし続けたの。でも、今は本当に工藤君の事を何とも思ってないから。もしも、私が元の宮野志保の体に戻ったとしても、それに、あなたの存在が無かったとしても、私と工藤君とがどうにかなるって事はないと思うわ。それに、今の私には信頼出来る人が工藤君以外にも、たくさんいるから」

私の突然の告白に、彼女も多少なりとも不安になったようだったが、今は何とも思ってないという言葉に、その緊張は多少緩んだようだった。

「今まで、本当にごめんなさい。それと、この話は工藤君には話してないし、彼も私の想いには気付いてなかったはずよ。今後も彼には話さないままにしておいた方がいいかもね。それに、こんな事をあなたに言うのは変かもしれないけど、工藤君って本当にその手の事には、その、ニブイから……」

私の言葉に、『確かに、そうなのよね』と彼女が笑う。その笑顔に私もようやくホッと胸を撫で下ろした。

「ねえ、哀ちゃんはこの先どうするの? 哀ちゃんもいずれは元の姿に戻るつもりなんでしょ?」
「それが……、私もその事については、まだ迷ってる。本来の姿である宮野志保の体に戻るのが自然な流れとは思うけど、元に戻ったからといって誰も私の事を待ってる人なんていないし……。それなら、このままこの姿で博士や探偵団のみんなと、一からやり直した方がいいのかもしれないのかなとも思ってるの。まあ、どちらにしても、私の犯した罪は何らかの形で償わなければないないでしょうけど……」
「罪と言っても、哀ちゃんは毒薬だって事を知らなかったんでしょ?」
「ええ。けれど、その事を言い訳には出来ないから……」
「でも……」
「とりあえずは、しばらくの間、このまま灰原哀として生きていくつもりよ。この事は、FBIの要請でもある事だしね。そうだわ、蘭さん。勝手を言うようだけど、私の事は黙っていてもらえないかしら? FBIとしては、今後も私の事は世間一般には知らせたくないようだし」
「ええ、わかったわ」
「それにしても、工藤君の言った通りになったわね」
「えっ?」
「工藤君がね、私が全ての事を話したとしても、あなたは私の事を責めるような事は無いだろうと言ってから」
「責めるも何も、私、話を聞いた今も、哀ちゃんに謝ってもらう必要は無いと思うんだけど……。確かに、哀ちゃんに避けられてるのかなっと思って、ちょっと寂しいなと思った事はあったけどね。でも、今はこうやって、ちゃんと向き合えるようになったんだから。それよりも、今までの話だと、哀ちゃんの正体を知っていた人って、コナン君の正体を知っていた人達とFBIの一部の人間くらいなんでしょ?」
「ええ、そうだけど……」
「だったら、さっき、哀ちゃんが言っていた信頼できる人間の中に、私も入れてくれないかしら。せっかく、ここまで話してくれたんだしね。それとも、私なんかじゃダメかな?」
「そんな事は無いわ」
「良かった。だって、哀ちゃんて本来なら18歳ってさっき言ってたわよね。だとしたら、たまには子供の振りじゃなくて、素のままでいたい時だってあるんじゃない? 新一だって、コナン君だった時は哀ちゃんが側にいてくれたおかげで、素のままでいられた事も多かったと思うし……。だから、私と一緒の時くらい、同年代の友達みたいに出来ないかなと思ってね。もちろん、迷惑じゃなかったらの話だけど」
「迷惑だなんて……。蘭さん、本当にありがとう」

私はこの時、初めて知ったのかもしれない。今、私の目の前にいる毛利蘭という女性の本当の魅力を。
彼女には底知れぬ優しさがある。それは、周りの人を自然に癒すようなものなのかもしれない。
そんな風に考えていた私は、ふと、ある出来事を思い出していた。

「蘭さん。私ね、一度だけ、あなたにお姉ちゃんの姿を重ねた事があったの」
「お姉さんって、雅美さん、じゃなくて明美さんの?」
「ええ。前に私と工藤君、というよりは江戸川君と言った方がいいかしら、二人が誘拐されそうになった事があったでしょ? あの時、あなたに銃弾から守ってもらった時に、なぜだかわからないけどお姉ちゃんの事を思い出したの。本来なら、私の方が年上のはずなのにおかしな話でしょ?」
「おかしいだなんて……。私と明美さんって、少しは似てるところがあったのかな? 私が前に会った時は変装してたみたいだから、素の明美さんはどんな人だったかわからないのよね。でも、会ってみたかったな、哀ちゃんの、ううん、志保さんのお姉さんとしての明美さんに。きっと、素敵な人だったんでしょうね。だって、哀ちゃんを見ていればわかるもの」

お姉ちゃんと蘭さんの似ているところは、きっと、その明るさと優しさ

けれど、私はその事を口に出せずにいた。それは、照れくさかったから。
その後、ちょっとした女同士の会話になる。思えば、こんな会話をするのって、姉以外の人とは初めてかもしれないなどと思いながら、私は彼女との会話を楽しんでいた。

気が付くと、外はもう暗闇の中。あっという間の時間だった。私は、彼女を一人リビングに残し、書斎に工藤君を呼びに向かう。

「工藤君、終わったわよ」
「そうか。結構、長い時間話していたみたいだけど、それで、オメーの気は済んだのか?」
「ええ。ねえ、工藤君。蘭さんを大切にしなくちゃ、ダメよ」
「な、何だよ、灰原。藪から棒に」
「別に。今、思った事を口にしたまでの事よ。それより、外もすっかり暗くなったようだし、とりあえずあなたも、リビングに戻ったら?」
「あ、ああ」

リビングで二言三言会話を交わし、私と蘭さんは帰宅する事になる。遅くなったお詫びにと彼女は工藤くんに送ってもらう事になった。
そして、その玄関先で。

「二人とも、今日は私のために時間を割いてもらってありがとう」
「なーに、気にする必要なないぜ、灰原」
「そうよ、哀ちゃん。それと……」
「それと?」
「私じゃ、明美さんの代わりなんてなれないけど、でも……」
「わかってるわ、蘭さん。その気持ち、素直に感謝するわね」

そう言って、私は、振り返らずにすぐ隣の家へと向かう。何やら、背後では、工藤君が蘭さんにいくつか質問を浴びせていたようだった。

そして、翌年、私が下した決断―――

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