告 白

「コナン君がいなくなっちゃうのは寂しいけど……、お父さんやお母さんと一緒に暮らせるんだものね。落ち着いたら、ちゃんとお手紙出してね」
「うん」
「オメーも、まあ、元気で頑張れよ」
「今までありがとうございました、小五郎おじさん、蘭姉ちゃん。 ……それと、ゴメンね、蘭姉ちゃん。新一兄ちゃんが戻ってくるまで一緒に居られなくて……。でも、きっと直ぐに新一兄ちゃん、帰ってくると思うから、ね」
「コナン君……」

俺は江戸川コナンとして、とびきりの笑顔で蘭とおっちゃんに対し、最後の演技をする。
先ほどから蘭は、今にも零れ落ちそうなまでに涙を目に溜めていて、おっちゃんもまた、寂しげな表情を見せていた。

「今まで大変お世話になり、ありがとうございました」

江戸川文代に変装した母さんが二人に礼を述べると、俺の手を握り、用意された車へと向かった。コナンに気を使って、涙を見せまいと必死に我慢している蘭の姿に後ろめたさを感じつつ、俺は江戸川コナンとして、最後の言葉を口にした。

「じゃあね。バイバイ」

「新ちゃん、本当にこれで良かったの? 何も話さないままで……」
「ああ。今の段階じゃ、これが最善の策だろう。二人には悪いとは思うが……、まあ、ケリが付いたらちゃんと俺の口から話すよ」
「そうね。……新ちゃん、お願いだから生きて帰ってくるのよ、必ず。蘭ちゃんのためにも……」
「わかってるよ。大丈夫、必ず生きて、そして、工藤新一として戻ってくるから」

その日、俺は間近に迫った“黒の組織”との決戦に備え、母有希子に頼み、江戸川文代の姿で江戸川コナンを迎えに来てもらった。数日前、やっとの事で組織のアジトを見つけ出し、3日後には、そのアジトに乗り込む手筈が整っていたのである。

その夜は新月だった。

組織の大きさを考え、最終的には日本警察に協力を仰ぐ事にした。そこで、俺と灰原がアジトに潜入してデータを収集し、阿笠博士と服部がそのデータを関係機関に流す計画だった。

しかし、実際には計画通りには行かず、俺がアジト内でジンと鉢合わせてピンチになったり、想定外のFBIの乱入があったりとしたのだが、結果的には日本警察とFBIの協力により、幹部と呼ばれていた人間の殆どが激しい銃撃戦で、または自らの手によって死に、わずかに生き残った者も事ごとく逮捕させ、“黒の組織”は、ほぼ壊滅する事となった。
ちなみに、後から聞いた事だが、FBIが俺達の計画に合わせて動いたのは、裏で父優作が手を回していたからとの事だった。

そして、翌日、俺は阿笠博士の家に居た。
その日、灰原がAPTX4869の解毒剤を完成させ、工藤新一を取り戻すためにである。

「はい、これがあなたが待ち望んでいたAPTX4869の解毒剤よ。いい、工藤君。この解毒剤は万全を尽くして作ったものだけど、そこは人間が作るもの。残念ながら100%安全とは言い切れないの。それでもいいかしら?」
「ああ。オメーが作ったものなら、他の奴が作ったものよりは確かだろうし」

「あら、随分と信用してくれるのね。……それにしても、工藤君、ゴメンなさい。本来なら薬の開発者である私がまず始めに飲んで、解毒剤の安全性を確認しなくちゃならないのに……。私には宮野志保の帰りを待つ人なんて誰もいないけど、あなたには工藤新一の帰りを待っている人が大勢いるから……」
「灰原、その事なら気にするな。第一、何よりも俺自身が、例え、どんなリスクがあろうとも、一刻も早く元の体に戻りてーんだから。それより、なあ、灰原、オメーはこの先、どうするんだ?」
「とりあえず、暫くはこの体のままであなたの経過を見守るわ。さっきも言ったけど、万が一って事も有り得るし。その時、私まで体に異常が表れてしまったら、元も子もないでしょう? それに、探偵団のみんなにとっても、いきなり江戸川君と私の二人が一度のいなくなるよりはいいと思うから」
「それは、そうだけど……。オメーはそれでいいのか?」
「ええ。正直言うと、私もこの先どうしたらいいか、まだ迷ってるから……」
「そうか」
「それと、工藤君。一つだけお願いしたい事があるの」
「何だよ、そのお願いって?」
「明日からよね? 詳しい事情聴取が始まるのは。それで、私の事なんだけど、できれば、私の正体が宮野志保で、APTX4869の開発者だっていう事、しばらくの間、誰にも話さないでいて欲しいの。とりあえず、私の家族が組織の人間だったから、組織が秘密を守るために私の身を狙っていたという事にしてもらえるかしら? まあ、この事はFBIからの依頼でもあるけど」
「FBI、だって?」
「そうよ。だから、あなたの両親は事情をもう既に知っているはずよ。問題は服部君ね。あなたの方から口止めしてもらえるかしら?」
「ああ、わかったよ。やはり、FBIとしても人間の体が簡単に伸び縮みするなんて、世間に知れたらまずいと考えたって事か」
「そのようね。工藤君、この事はくれぐれもお願いね」
「わかってるって。じゃあ、俺はそろそろ行くから」
「そう。……じゃあ、さよなら、江戸川君」
「そっか。これっきりなんだな、この体とも……、そして、江戸川コナンとも……」

その日の午後。

「はい、毛利です」
「蘭、俺だ、わかるか?」
「新一なの?」
「ああ」
「もう事件、事件って、一体、いつになったら戻ってくるのよ!」
「終わったよ」
「えっ?」
「事件は解決したんだ。長い間、待たせちまってすまなかったな」
「本当に、本当なの? じゃあ、新一……」
「ああ、戻ってきた。今、俺ん家にいるよ」
「……良かった」
「蘭。まさかオメー、泣いてんのか?」
「な、何で私が新一のために泣かなきゃいけないのよ! でも、無事に戻ってきてくれて本当に良かった。みんな心配してたんだからね」
「悪かったよ。ところで、蘭。今から俺ん家に来れねーか? オメーに話さなきゃならない事があるんだけど」
「わかったわ。じゃあ、今から30分位で行くから」

「よお、久しぶり。悪かったな、本来なら俺から出向くんだろーけど、蘭のとこには、ほら、おじさんがいっからさ」
「ううん、そんな事はどうでもいいけど。本当に帰ってきたんだよね、新一。また、直ぐにどっかに行っちゃたりしないよね?」
「ああ、もうどこにも行かないよ。それより、こんな所で立ち話もなんだから、中に入れよ」
「あっ、うん」

蘭をリビングに通してから、俺はキッチンに向かう。
蘭にはミルクたっぷりの、自分にはブラックのコーヒーを手にし、リビングのソファーに向かい合わせになるように座った。

「とりあえず、ほら、コーヒー」
「ありがとう。新一、ちゃんと私の好み覚えていてくれたんだね」
「当たりめーだろ」

コーヒーを口にする。思わずフゥーと溜息を付いた俺を見て、蘭がクスクス笑い出す。
俺もそんな蘭の様子がおかしくて笑い出していた。

「なんか、ホント、久しぶりだね。こんな風に二人で笑ったのなんて」
「そうだな」
「新一の入れるコーヒーって、どういう訳か美味しいんだよね」
「そうか?」
「うん。ところで、新一。少しやつれたんじゃないの?」
「そうかもな。なんせ、ここ数日はほとんど寝てなかったし」
「寝てないって、大丈夫なの? 少し休んだ方がいいんじゃないの?」
「いや、大丈夫だよ。それより、蘭に話さなきゃいけない事があっから」
「そうだったわね。ところで、その話って何?」
「ああ。まず、俺が追っていた事件の事だけど、はら、今日の朝刊に載っていただろ? 横浜の倉庫街での大捕物劇。そいつなんだ」
「そうだったの。夕べからテレビでもそのニュースで持ちきりだったけど……、でも、新一の名前なんてどこにも出てなかったわよね?」
「多分、警察には事件の全容がまだ見えていないだろうからな。まあ、その内、俺の名前も表に出る事になるかもしれねーが」
「そっか。そんな凄い事件を追っていたんだ、新一は。道理でなかなな戻ってこれなかったのね」
「まあな。相手が俺の思っていたよりも大きな組織だったから…… ホント、悪かったよ。こんなに長い間待たせてゴメンな」
「うん。でも、新一はちゃんと戻ってきてくれたから……」
「そうか……。なあ、蘭。実はオメーに謝らなきゃならない事はまだ他にもあるんだ」
「えっ?」

この時の俺は不安だった。そう、江戸川コナンの正体を話す事が。
きっと蘭は、怒るに違いないし、すんなり許してくれるとは思えない。それはわかっていた。けれど、避けて通る訳にはいかない。今、話す事が蘭をずっと騙し続けてきた俺のせめてもの償いだと思うから――――

意を決して、俺は話し始める。
まず、“黒の組織”との出会い、蘭の空手の都大会優勝のお祝いにとトロピカルランドに二人で行ったその日の出来事から。帰り道に蘭と別れた直後、黒ずくめの男の取引現場を目撃し、そこで、別の仲間に見つかって、毒薬を飲まされた事。

そして、次にその毒薬について。
後にAPTX4869という名前と判明した毒薬によって、俺の体が縮んでしまった事、組織の人間に工藤新一の生存を隠すために、江戸川コナンを名乗った事を。
最後に、蘭の家に転がり込んだ経緯について。黒ずくめの男達の、そして、APTX4869の情報を手に入れるために、探偵事務所だった毛利家の居候になった事。

ここまでの事を俺は一気に話した。
その間、蘭は黙って聞いていたのだが、その表情は見る見るうちに変わっていった。そう、怒りと悲しみの表情に。当然の事だとは思う。ただでさえ信じ難い内容なのに、長い間、俺に騙され続けていた事実を知ったのだから――――

暫しの沈黙が流れた。
そして、感情を押さえるかのような口調で、蘭が静かに口を開いた。

「やっぱり、コナン君が新一だったんだね……。ねえ、その事を知っている人ってどれくらい、いたの?」
「俺の両親と阿笠博士、それと服部だな」
「服部君も知ってたんだ……、だから、コナン君とあんなに仲が良かったのね」
「ああ。ただ、服部は俺から話した訳じゃなくて、あいつが自分で俺の正体に気付いたんだがな」
「そう……」

そこまで話して、再び沈黙の時が流れる。
二人を包む空気もまた、更に重苦しいものへと変わっていた。

「ちょっと待って、新一。あんた確か、学園祭の時にコナン君と一緒にいたわよね。私もそれまでに何度もコナン君が新一に違いないって思ったんだけど、あの時、二人同時に現れたから、だから、新一とコナン君は別人だと思ったのに……、あれって、どういう事だったの?」
「その事か……。そりゃそうだよな。俺もそれを狙ってた訳だし……。悪いな、蘭。もう一人だけ、俺の正体を知ってる人間がいて、そいつは、博士の所にいる灰原なんだけど、あの時は灰原にコナンを演じてもらってたんだ」
「えっ? 哀ちゃんが? どうしてあの子が新一の正体を知ってるのよ?」
「あいつの場合はちょっと特殊で……」

解毒剤を渡された時の灰原の言葉を思い出し、俺は言葉を続けた。

「灰原の場合は、あいつの家族が組織の人間で、両親が共に優秀な科学者だったそうだ。その家族っていうのも灰原一人を残して事故で死んだそうだが。それで灰原は、組織の内情を知る人間として組織からその身を狙われる立場となって、そのため逃げ出してきたらしい。ちょうどその頃に、APTX4869を飲まされたのに、工藤新一の死体が見つかっていないという話を聞いたらしくて、もしかしたらと思ってこの家を訪ねて来たって。灰原はその時、門の所で力尽き倒れたらしくて、たまたまその場を通りかかった博士に保護された訳なんだけど……。だから、俺と灰原は組織に敵対する者同士、協力し合ってたんだ」
「そうだったの。それで、哀ちゃんが……」

こんな説明で蘭が納得してくれるとは思っていなかったが、思いの外、素直に受け止めてくれたようだった。
ただ、相変わらずその表情は曇ったままだったが……。

俺はなかなか言葉を続けられずにいた。俺の発する言葉の一つ一つが蘭を傷つけているような気がしてならなかったから。味なんて全く感じられない、冷め切ったコーヒーを口に含む。そうする事で、少しは気持ちが落ち着くような気がしていた。

「――― どうして、どうして私には話してくれなかったの? 私がどんな気持ちで新一を待っていたか、すぐ側にいたなら知ってたわよね。私なんかじゃ、服部君と違って、新一の力になれなかったの? 新一にとっての私の存在って、その程度のものだったの? ずっと待ってたんだよ、いつか話してくれるに違いないって。それなのに……」

今まで俯いていた蘭が顔を上げて言う。その瞳には溢れんばかりの涙を溜めていた。

「蘭を守りたかったから」

「えっ?」
「俺の正体を知ったら、間違いなく蘭も組織に命を狙われるに違いなかったから。それに……」
「それに?」
「オメーは、人の苦労をしょい込んで、自分の事のように心配して泣いちまうようなお人好しだから……。多分、俺の正体を知っていたら、普通に生活はできなかっただろ? いつも不安に押し潰されそうになっている蘭の姿は見たくなかったんだ。それに、そんな状態では、更なる危険を招きかねなかったしな。だから、知らないままでいてくれた方がまだマシだと思ったんだ。まあ、どちらにしても俺のエゴである事には変わりはしないけどな」
「それにしたって……。せめて、せめてコナン君には最後くらいは“サヨナラ”を言わせて欲しかったよ。私にとってコナン君は本当に大切な存在だったんだから。もう一生会えなくなるっていうのに、それなのに“サヨナラ”さえ言わせてくれなかったなんて、ひどいよ、新一」
「すまない。けど、あの時は生きて戻ってこれる確証が無かったんだ。だから、本当の事も、もう二度とコナンと会えなくなる事も言えなかった。万が一の時の事を考えて、蘭の心の傷が少しでも軽くなるようにしたかったんだ」
「万が一って。じゃあ、新一。本当に死んでしまってたら、どうだったの? 私は何も知らないままだったの? 新一あの時、そう、米花センタービルのレストランで言ったじゃない、『必ず、死んでも戻ってくるから、それまで蘭に待ってて欲しい』って。それなのに……」

今まで、これほどまでに怒る蘭の姿を見た記憶が無い。
蘭が“江戸川コナン”の事をどれだけ大切に思っていたかわかっているつもりだったが、どうやらその思いは俺の想像以上のものだったらしい。

俺は『ちょっとだけ、そこで待ってて欲しい』と言い残し、その場を離れた。
2Fの自分の部屋に向かい、机の上に置かれたそのモノを手にする。その後、キッチンに立ち寄り、新しく二人分のコーヒーを淹れ直してから、再びリビングで待つ蘭の前に座った。一口コーヒーを口にし、蘭に自分の手に握られたそのモノを差し出す。

「なんなの、この手紙は?」
「俺に万が一の事が起きた場合、その手紙を蘭に渡してもらうようにしてあったんだ。内容は、今、俺が話した事が書いてある」
「そう。この手紙一つで、終わらせようとしたんだ」
「悪い……。それが最善の策だと思ってたんだよ」
「――― ねえ、この手紙、今、ここで読んでもいい?」
「ああ、別に構わねーけど」
「じゃあ ―――」

そう言って、蘭は俺の手紙を読み始めた。事実関係だけを淡々と書き綴った手紙。それは、少しでも俺の事を引きずらないで欲しいと願っての事だった。手紙を読み終え、蘭は視線を落とす。

「『かけがえのない幼なじみの蘭へ』か……。私の気持ち、知っていたくせに……」

それは、俺が手紙の最後に書いた言葉で、俺には、それが精一杯の表現だった。

俺が入れ直したコーヒーを蘭が口にする。その瞳からは先ほどまでの涙は消えていた。

「私って、ホント、バカよね」
「えっ?」
「だって、あんなに新一に戻ってきて欲しいと思ってたのに……、ちゃんと無事に戻ってきてくれたのに……、ゴメンね。どうしても素直に喜べないの。なんでかな? みんなを騙していた事もちゃんとした訳があったからだってわかってるの。新一がどんなに辛い思い出そうしていたかって事だって、想像も出来るの。けどね、やっぱり、コナン君には“サヨナラ”を言いたかったな……」
「蘭……」

「少しだけ、2,3日だけ、私に時間をくれないかな? 自分の気持ちを整理したいから……。ホントに、ゴメンね、新一。私だって全部許して、素直に喜びたいの。だから……」
「もういいよ、蘭。それ以上は言わなくていいから。俺だって、許してもらえないかもと思っていたし。だから、もし、時間が掛かっても許してくれるっていうのなら、いつまでだって待つから。オメーが謝る理由なんて、何一つとして無いんだから、なっ?」
「ありがとう、新一」

先ほどまで張り詰めていた重苦しい空気は消え、穏やかなものへと変わっていた。
ただ、未だ二人の笑顔は戻らずにいたのだが……

俺には、この日、もう一人コナンの正体について話さなければならない人物がいた。

「なあ、蘭。今日、おじさんは探偵事務所にいるのか?」
「あ、うん。今日の依頼はなかったはずだから、いるはずだけど。でも、どうして?」
「いや、おじさんにもコナンの事は話さなきゃならないだろ? ほら、長い間、世話になっていた訳だし……。俺も、明日から本格的な事情聴取が始まるから、出来れば、今日中に話したいと思ってな」
「そっか。お父さんにも話すのか……。お父さんはどんな反応をするんだろう? なんか想像できないかも」
「だよな……。ところで、蘭。今夜、俺がオメーの家に行っても大丈夫か? 今は、俺の顔なんて見たくないんじゃないのか?」
「そんな事はないよ。それに、もし、そうだとしても、自分の部屋にこもればいいだけの事だし……」
「悪いな、蘭。じゃあ、これから行くけど……」
「う、うん………」

▲ Page Top