7. Happy Wedding(後編)

本日の式場となるのは、船の甲板です。

その甲板へと続く廊下には、式を待つ参列者が時間を持て余さないようにと、本日の主役である新一君と蘭さんの子供の頃からの写真が飾られています。
お宮参り、七五三、入学式、運動会、学芸会、卒業式、成人式……
それらの写真を見た人たちは一応に驚いていました。なぜなら、その日、飾られた写真は全て、二人が一緒に写っているもので、いかに二人が同じ時間を共有してきたかを証明するものでしたから。

ところで、それらの写真を前にして、一人だけ号泣する人物がいました。
その人物とは、花嫁の父、毛利小五郎さんです。その姿はまるで、これから今生の別れでも迎えようとしているのか?と思わせるほどのもので、周囲の人たちも、間もなく始まろうとしている挙式に参列できるのだろうかと、心配せずにはいられないほどのものでした。

そんな小五郎さんでしたが、英理さんを中心に説得を続けた結果、式を直前にしてようやく諦めたようで、どうにか落ち着きを見せていました。ただし、その時間も束の間のものだったようですが。

初めて目の当たりにした最愛の一人娘の花嫁姿に、それまで抑えようとしてきた思いが溢れ出してしまったようで、先ほど以上の号泣です。これには、蘭さんはもちろん、式場のスタッフも困り果てております。

それも、そのはず。
目の前の扉を開ければそこは甲板で、今、正に入場しようとしているその時なのですから。頼みの綱である英理さんも、この時既に式場の親族席に座っていて、呼び出すわけにもいきません。

ところが、これが案外、すんなりと解決してしまいました。
そのきっかけは、この日、花嫁を先導する役割を担った、少年探偵団の面々の言葉からでした。

「参列者の人たちだって、今か今かとおじさんと蘭さんの入場を待ってるんですよ!」
「そうだぜ。 花嫁の父がそんなんでどうするんだよ?  せっかく、俺たちが先導するっていうのによ!」
「うるせー! お前らなんかに今の俺の気持ちがわかってたまるか!!」
「お父さん……」
「みんな、困ってるじゃない。おじさんは、蘭お姉さんに幸せになって欲しいと思わないの?」
「おじさんは、二人の結婚を一度は認めたんですよね?  だったら、今更、じたばたしないで……」
「おっちゃんも、男らしくねーよな」
「しゃーねーだろ? 頭で分かってはいても、こうやって目の当たりにしてしまうと、気持ちが変わっちまったんだから……」
「今日は一生に一度の、大切な結婚式なんだよ? それなのに……、蘭お姉さんがかわいそうだよ……」
「お父さん、やっぱり反対だったの?」

ここにきて、蘭さんと歩美ちゃんの瞳には涙が溢れ始めます。
その姿を目の当たりにして、ようやく、小五郎さんも我に返ることができたようです。

「悪かったな、蘭。俺だって、別に反対してるわけじゃねーんだ。俺が思っていたよりは随分と早かったが、お前が生まれたその日から、この日が来ることは覚悟していたつもりだったから。ただ、その、何て言うか……、お前の花嫁姿を見ていたら、何だか急に、お前が俺の手の届かないところに行ってしまうような気がしてな……」
「何を言っているのよ、お父さん。結婚したからって、私はお父さんとお母さんの娘であることに、変わりはないでしょ?」
「そうだよな……、お前達も、その……、迷惑をかけちまったみたいで、悪かったな」
「いいんですよ。それより、早くしないと参列者の人たちも不審に思いますよ」
「おじさん、早く、早く!」
「お、おう……」

何はともあれ、ようやく挙式が始まるようです。

さて、結婚式というのは、案外、花嫁の父が一番緊張するものなのかもしれません。先ほどまでの混乱がまるで嘘であったかのように、今度は花嫁の父の小五郎さんは、緊張のあまりその体が硬直してしまっています。

予定の時刻より少し遅れましたが、扉が開かれ、パイプオルガンの音色の中、花嫁と花嫁の父の入場です。荘厳な雰囲気が漂う会場からは、この日の主役である花嫁の美しさを感嘆する言葉と溜め息が至る所から聞こえてきます。

この頃になると小五郎さんの緊張もピークに達し、頭の中は完全に真っ白、どちらの足から踏み出して良いのかさえもわからなくなっています。
そうそう、結婚式で一番冷静なのは、主役の花嫁なのかもしれませんね。ベールに隠れたその口元で、蘭さんは小五郎さんのために『右、左』と次に踏み出す足を教えてあげていたのですから。

途中、踏み出す足を2、3回間違えることもありましたが、どうにかヴァージンロードの中間に立つ新郎のもとまで無事に到着です。ただし、最後の抵抗なのでしょうか。花嫁の父から新郎へとエスコート役を引き継ぐ際、通常よりも相当時間を要しましたが、それはその、ご愛嬌ということにしておきましょう。

ようやく新婦が新郎のもとに到着です。

さて、今度は先ほどの新婦の父とはうって変わって、新郎は堂々たるエスコート振りです。さすがに世界的に有名な推理小説家とかつて日本を代表した有名女優の息子というだけのことはあります。タキシードの着こなしも20歳とは到底思えないほど様になっていて、その立ち居振る舞いも余裕綽々。その場にいた誰もが美しい二人の姿に魅入っております。それはもう、まるでおとぎ話の中の王子様とお姫様のようでしたから。ただし、花嫁の父だけは、釈然としない思いを抱いておりましたが。

甲板に響き渡っていた賛美歌が終わる頃になると、参列者たちもおとぎの世界から現実の世界に意識が戻ったらしく、暫し止まっていたカメラのシャッター音が再び聞かれ始めました。

祭壇では牧師による聖書の朗読と説教が行われ、神の御前に結婚を誓う『誓約』の時を迎えております。牧師の問い掛けに、新郎新婦とも力強く答える様子に、心に一点の曇りも無いことが見て取れます。

その後、『指輪交換』、そして、『誓いのキス』となるのですが……

そのキスがそれはそれは長く、参列者からは感嘆を通り越し、二人がきちんと呼吸できているのかと心配する声が、花嫁の父からは怒声にも似た叫び声が会場に響いております。もちろん、当の二人はそれらの声にはお構いなし。何事も無かったかのように、結婚誓約書の署名へと式は進んでいきました。

さて、この日の二人の挙式の立会人は、新一君の家の隣に住んでおり、幼い頃から二人を温かく見守り続けてきた阿笠博士がその役を務めております。その阿笠博士ですが、目の前で長々と誓いのキスがなされている頃から涙が溢れ出し、結婚誓約書の立会人の署名も涙が滲んでままならない様子でした。

それは、仕方がない事なのかもしれません。
彼は3年前に二人の身に突如訪れた試練、そう、普通に生活する人には到底経験することのないような試練を、一番身近に見ていた人物なのです。二人がどれほど互いを思い心を痛め、悩み、苦しんでいたのかを、そして、その試練を強い絆によって乗り越えたかを、二人の家族以上に近いところで見守り続けていたのですから。今、二人のかねてからの思いが通じ、幸せな時を迎えている二人の姿は、さぞ胸に迫るものがあったのでしょう。

結婚誓約書への署名を終えると、牧師によって新一君と蘭さんとの結婚宣言がなされ、新郎は妻になったしるしに新婦のベールを上げ、二人で参列者の方に向き直ります。再び賛美歌が響き渡り、まもなく、新一君と蘭さんの挙式が終わりを迎えようとしています。

一般的な挙式の流れからすれば、この後は、両親への花束贈呈、ブーケトス、写真撮影等へと移っていきます。この日、参列者に案内された式次第も同様のもので、挙式後、船内の別の会場に移動し、ビュッフェスタイルの披露パーティーが予定されていました。

しかし、どうやら、雲行きがあやしくなってきたようです。
なぜなら、蘭さんの親友である園子さんがマイクを片手にその後の進行を進め始めたのです。これは、もちろん、予定外のこと。参列者の面々も驚きを隠せず、これから何が起こるのかと混乱した様子でした。特に園子さんから発せられた言葉が、より混乱への拍車をかけたようです。

「参列者のみなさーん。このような突然の無礼をお許し下さい。私、新婦の親友の鈴木園子でございます。早速ですが、なぜ私がこのようにマイクを持っているかと申しますと、皆様への招待状に書かれていた特別なイベントを今から行いたいと思い、その司会を務めさせて頂くためです」

確かに、招待状の最後には、次のような内容が書かれていました。

『尚、当日は、この日の喜びを皆様と分かち合いたいと思い、特別なイベントを計画しております。
その内容につきましては当日までのお楽しみ。シークレットとさせて頂きます。』

ところで、この時点で二人ほど、園子さんの提案に不満そうな表情を浮かべておりました。
その二人とは、少年と刑事。憶測の域は超えませんが、おそらく、二人にとっては挙式後の披露パーティー、言い換えれば、食事の時間が遅れることに不満があったのではないでしょうか。

園子さんは新郎新婦と軽く目を合わせると、何やら意味深な表情を浮かべ、会場のざわつきをよそに躊躇うことなく言葉を続けます。

「では、早速、進めていきたいと思います。本来でしたら、ここで花束贈呈、そして、ブーケトスの予定でしたが、今、この場に主役の一人である花嫁の母がいないことに皆様お気づきでしょうか?」

この言葉に先ほど以上にざわつき始めます。そして、その中でも特に混乱しているのが花嫁の父です。
それもそのはず。彼はこの時まで自分の隣に座っていた妻の英理さんがその姿を消していたことなど、予想だにしなかったことですから。

ところで、何故、参列者はもちろんのこと、小五郎さんまでもが英理さんの不在に気が付かなかったのか、疑問ではありませんか?

実は、これにはちょっとしたからくりがあったのです。
英理さんが席を外したのは、新一君と蘭さんが誓いのキスをしていた時でした。そうです。あの非常に長いキスの時です。この時の小五郎さんは大変興奮しておりました。そんな小五郎さんを落ち着かせるフリをしつつ、英理さんと園子さんとが入れ替わっていたのです。容姿の全く違う二人ですが、同じようなドレスを身にまとい、同じような髪型にすることによって、多少の参列者たちのざわつきも手伝い、この時まで周囲の目を欺いていたのです。
ちなみに、長い長いキスの後、新一君が小五郎さんに向かって一瞬だけ不適な笑みを浮かべ、小五郎さんを煽っていたことなど、ごくごく限られた人しか気付かなかったことでしょうが。

では、その後の様子も見てみましょう。

「みなさーん、静粛にお願いします。もちろん、これにはちゃんとわけがあるのです。実は、新婦にはかねてより、どうしてもブーケを渡したいと思っていた人物がいたんです。そのため、大変申しわけありませんが、予定にあったブーケトスは中止にさせて頂きます。その代わりと言ってはなんですが、今その人物出てきてもらって、直接、花嫁から渡してもらいます。では、どうぞ、出てきて下さい」

その人物については、その場にいた誰もが想像していた通りだったようです。ただし、その姿までは誰も想像できなかったようで、その驚き振りは大変なものでした。なぜなら、その登場人物、そう英理さんは、蘭さんのものとはまた雰囲気の違う、シンプルなスレンダーラインの純白のウエディングドレスを身にまとっていたのです。

「英、英理…?」

あまりの驚きだったのでしょう。
それだけ言葉にし、小五郎さんは空いた口が塞がらなくなってしまいました。

「えー、みなさーん。皆さんの驚きはごもっともなことですが、ここでもう少し私の話を聞いて下さい。今日という日を迎えるに当たって新婦にはたった一つだけ、気にかかっていたことがありました。その思いを知っていた新郎にとっても同じだったのです。具体的には、皆さんもご存知のように、蘭の両親の別居の件です。蘭にとっては、両親の別居が解消されない限り、自らの結婚も100%素直に喜ぶことが出来ない。小五郎さんと英理さんを見ると、二人ともその気が無いというわけでもなさそうだったので、尚更、その思いは強かったのです。
そこで、私たちは考えました。どうせなら新一君と蘭との結婚式で、ついでに小五郎さんと英理さんの結婚式もやってしまおうと。二人が結婚した20年前に式を挙げなかったから別居してしまったのかもしれないんですから。というわけで、二人には20年目の再確認ということで、神様の前できちんと誓ってもらおうと思うのですが、皆さん、いかがでしょうか?」

この提案には、参列者全てが賛成のようで、大歓声の中、スタンディングオベーションまでおきています。一方の小五郎さんはというと、こちらは突然の事態に大混乱といった様子。支離滅裂なことを口走っているのです。

例えば、
「ちょ、ちょっと待ったー! 俺は、何も聞かされてないんだぞ!
英理、お前も自分の年ことも考えず、一体、何の真似だ!
蘭も蘭だ。お前、今日は自分の結婚式なんだぞ? それをぶち壊すつもりか?
一体、誰がこんなことを考え付いたんだよ?……」

という具合に、次から次へと思ったことを叫んでいるのです。

さて、ここから、その場にいる全ての人の小五郎さんへの説得開始です。

「あのね、小五郎君。このアイディアを出したのは私なの」
「有希ちゃんが? な、何で、こんな余計なことを?」
「だってー、自分の『娘』の幸せを願うのは『親』として当たり前のことでしょ?」
「だからって、何もこんな真似をしなくたって……」
「仕方が無いじゃない。思い付いちゃったんだから。それに、これくらいのことをしないと、小五郎君、いつまでもケジメが付けられないでしょ?」
「毛利さん、あなたもその気が無いわけでもないでしょうから、ここは、腹を括ってしまった方が身のためですよ。それに、見ての通り、今我々がいるのは四方を海に囲まれた船の上。逃げ出そうにも、なかなか面倒なことだと思いますがね?」
「まさか、最初からそのつもりで船上挙式にしたのか?」
「ええ、もちろん」
「毛利君、君も男なら、いい加減にこの不自然な状態にケリを付けたらどうなんだね?」
「警部殿まで、そんな無責任なことを」
「馬鹿もーん!! 無責任なことをしているのは毛利君、君の方じゃないか! 第一、こんなに美人で出来た奥さん、今逃したらもう二度と、手にすることは出来んのだぞ」
「そうそう。もし、小五郎君がどうしても嫌だって言うのなら、ほら、ここに離婚届を用意してあるから、これにサインしちゃって。英理ちゃんと、証人として私と優作のサインは済んでいるから」
「何も、そこまでしなくたって……」
「何でしたら、我々警察としましても、もし毛利さんが逃げ出すようなことがあったら、逮捕状を請求しましょうか? 警視庁のOBがこれほど無責任な人間とあれば、大変、不名誉なことですから。早速ですが、目暮警部、罪状は何にしましょうか?」
「白鳥、貴様……、お前、それは職権乱用だろーが!」
「何でもいいけど、おっちゃん、早よ覚悟してぇな! あたし、ずっとずっと蘭ちゃんからブーケもらうの、楽しみにしてたんやから。けど、蘭ちゃんのおばちゃんやったら、喜んで諦めたる。だから、もし、おっちゃんが断る言うたら、あたし、一生、おっちゃんのこと恨むからな!」
「おっさん、コイツの恨みは、ホンマ恐ろしいで」
「どいつもこいつも好き勝手なことを言いやがって……」
「おじさん、私、もう一回、フラワーガールやってあげるから」
「それでしたら、僕たちだって。ねえ、元太君?」
「お、おう。それはもちろんいいけど、早くしてくれよな。俺、もう腹へって腹へって……」
「子供たちにまでこう言われているんだし、もうそろそろ潮時でしょうね。いい加減、男らしく覚悟を決めたら? そうしないと、明日から米花町の中を歩けなくなるかもしれないわよ」
「哀君、いくらなんでもそれは無いじゃろうに」
「あら、それはどうかしら? 天下の名探偵毛利小五郎がこれだけの人の前から逃げたなんて知れたら、近所のいい笑いものになるんじゃなくって?」
「ああ、もう、いい。わかった、わかった。ここで、挙式をすれば良いんだろ? 俺も江戸っ子だ。こうなったらもう、煮るなり焼くなり好きにしてくれ!」
「よーし。そうと決まれば、ワシが立会人を務めようじゃないか。君たちの別居には我々も多少なりとも関わっていたんだからな。文句は言わせないぞ、毛利君!」
「はい、警部殿……」
「ハイハイ、みなさーん、お聞きのように、これから毛利小五郎さんと妃英理さんの挙式を執り行いたいと思います。では、ご両名とも急いで準備して下さいね」 「ったく……、この年になって、まさか自分達の結婚式とな。英理、これで良いんだろ?」
「え、ええ……」
「なーに、その、何て言うか……、20年前、お前にウエディングドレスを着せてやれなかった俺も悪かったんだろうから……」
「あなた……、ありがとうございます」
「蘭も、本当にお前って奴は……、今日はお前たちの結婚式だっていうのによ。ホント、余計な気を使いやがって……」
「ありがとう、お父さん。お陰様で、私、誰よりも幸せな花嫁になれたし、本当にお父さんとお母さんの娘で良かったぁ」
「礼を言わなくちゃならねーのは、こっちの方だ。蘭が俺たちの娘でいてくれてどれだけ幸せなことだったことか。ちょっと、お節介なのが玉にキズだがな」
「お父さん……」
「それと、新一。お前、今日は朝からやけに俺に挑戦的だったのは、まさか、このためだったとは言わねーよな?」
「その、まさかですよ。少しでも作戦を優位に進めるためにね。何せ、名探偵毛利小五郎を相手にするので、念には念を入れたわけですよ」
「それは何だ? 嫌味のつもりか?」
「とんでもない。俺はいざという時のおじさんの底力を、今まで何度となく見てきましたから。ですから、こちらとしましても全力でかからなければと思い、探偵二人、本気で対策を練らせて頂きました」
「日本警察の救世主と世界屈指の推理小説家を敵に回したら、誰だってそりゃあ、敵わねーよな」
「それはどうも」

というわけで、本日、2組目の挙式が行われることとなりました。
思いもよらぬ展開ながら、これには、参列者たちも大喜びです。急遽決まった挙式、その上、結婚20年目の挙式ではありますが、これほどまで多くの人から祝福される二人は、そうはいないでしょうね。

三度、甲板にパイプオルガンの音色が響き渡ります。
終始ぎこちなさがあるものの、式は先ほどの新一君と蘭さんの時よりもスムーズに進んでおります。途中の指輪交換では、思わず小五郎さんがつぶやいた『蘭の奴、いつの間に、コイツを見つけて、持ち出したんだ?』という言葉に、参列者から失笑を買うといったことがあったり、その後の誓いのキスの時には、きっと照れくさかったのでしょうね。その時間があまりにも短かったので、参列者の一部からは、ヤジにも似た言葉がかけられるといった場面もありました。

これらのエピソードが示すように、小五郎さんと英理さんの挙式は参列者から笑顔が絶えることがなく、その場にいた誰もが二人の新たな出発を祝福しようという思いで、会場は温かい雰囲気に包まれておりました。

主役の二人も感慨深いものがあったのでしょう。
式の終盤、参列者の方に向き直る時には英理さんの瞳には喜びに満ちた涙が溢れ、小五郎さんもまた、キリっと引き締まった神妙な面持ちです。

そして、二人の一人娘の蘭さんはというと、自分も花嫁ということを忘れてしまっているのか、式の最初から最後まで、両親の晴れの姿に涙を流し続けていました。

一般的な挙式と比べれば、この日の挙式は一風変わったものに見えたのかもしれません。
けれども、そこに込められている思いは、紛れもなく一途で純粋なものだったのではないでしょうか。自分たちのことを見守り続けた人たちへの感謝の気持ち、新たに二人で手を取り合って人生を歩みだす決意と誓約。反対に、そんな二人への祝福の気持ちと、これからも見守っていこうという思い。

だから、次のような感想になったのでしょう。
その場にいた誰もが幸せを感じる、心温まる挙式だったと。
そして、二組の夫婦の特徴を良く表したこんな言葉も。『親夫婦には初々しさがあって、いかにも新婚夫婦といった様子で、一方の子供夫婦は、逆に堂々として、もう何十年も連れ添ったかのような落ち着きがあった』と。

さて、挙式後に開かれた披露パーティーでもちょっと変わったエピソードがありましたので、ここで紹介しておきましょう。
まずは、パーティー前の蘭さんと和葉さんの会話から。

「和葉ちゃん、ブーケのなんだけど、ゴメンね、黙っていて。敵を欺くからにはまずは味方からというか……、本番までお父さんに気付かれるわけにはいかなかったから、本当にごく一部の人にしか知らせていなかったの。お母さんと新一の両親以外だと、式場の準備の関係があったから園子とスタッフの一部の人くらいで……」
「何も謝らんでもええって、蘭ちゃん。素敵な結婚式を見せてもろうたんだしね」
「そう言ってもらえると、少しは気が楽になるんだけど……。あのね、実は、和葉ちゃんにもパーティーの後にこっそりとトス用のブーケを渡すつもりだったの。でもね、新一が私がフォローしなくても変わりに服部君がフォローするから、私は何もしなくていいからって言って……、だから、ゴメンね。私からは何も出来なくて」
「平次がフォローって、どういう意味なん?」
「それがね、私にも教えてくれないのよ、新一。自分だけやけに自信満々で、『アイツの負けず嫌いさを考えれば、間違いない。まあ、パーティーが始まれば、蘭にだってすぐにわかることさ』何て言ってね。けど、新一があれだけ断言したんだから間違いはないと思うんだけど」
「ふーん、一体、パーティーで何があるって言うんやろうね」

その披露パーティーですが、それはすごい盛り上がりを見せておりました。二組とも幼なじみ同士のカップルということもあり、それぞれ、幼少の頃からのエピソードが豊富。それらのエピソードをスピーチする人が次から次へと『暴露』していくものですから、当事者は赤面しっぱなし。参列者からも絶えず冷やかしの言葉を浴びせられるといった具合なのです。

さて、そのパーティーも最高潮を迎えようとした頃、ここでも、ある人物から予定外のイベントの提案がなされたのです。その人物とはこの日の『黒幕』、そう、工藤有希子さんです。

「みなさーん、盛り上がっているところを悪いんですが、少しの間、お静かにお願いしますね。まあ、私の自己紹介は必要ないとは思いますが、一応ということで。私はここにいる新郎の母で、と言っても、もちろん小五郎君のではないですよ。その小五郎君や英理ちゃんとも20年来の友人の工藤有希子です。今日は皆さんの強力のお陰もあり、本当に素敵な時間を過ごすことができました。そこで、皆さんへのお礼の意味も込めまして、ここで大いに盛り上げって頂こうと、今この場で、英理ちゃんにはブーケトスを、小五郎君にはガータートスをしてもらおうと思うのですが、いかがでしょうか?」

この提案には、会場中が大賛成。
ただし、日本人にはあまり馴染みのないガータートスを、どれだけの人が知っていたのかは疑問ではありますが。一方の小五郎さんと英理さんはというと、特に小五郎さんは当然のように猛反対です。

「ちょっと、有希ちゃん。いきなり何を言い出すのよ!」
「そうだ、そうだ。俺はそんなことをしろ、となんて一言も聞いてないぞ!」
「どうせ挙式のことも知らなかったんだし、一つイベントが増えるくらい、今さらどうってことはないでしょ?」
「そんな無茶苦茶な理屈があるか! 英理のブーケトスは良いとしても、何で俺がガータートスなんかしなくちゃならないんだ。ここは、日本だぞ? それに、何で新一はしなくて、俺だけなんだよ?」
「あら、20年前に優作はしたわよ、もちろん、日本で。小五郎君、覚えてないの? それに、新ちゃんたちは、ほら、蘭ちゃんのブーケは英理ちゃんに渡したわけだし、ガータートスの方は、ガーターを受け取った人のその後の人生が心配でしょ? 新ちゃんの性格を考えれば」
「だとしても……」
「ほら、皆さんお待ちかねなんだから、二人とも、早く早く!」
「あー、もういい。ここまできたら、ヤケクソだ」

と言うわけで、急遽、ブーケトスとガータートスをすることに。
その様子はというと、ブーケトスの方は何事もなくスムーズに行われました。ただし、なぜか和葉さんだけは参加を認められなかったんですが。

さて、問題のガータートスです。
花嫁の太もものガーターを花婿が外し、独身の男性に向かって後ろ向きに投げるわけなんですが、大抵の日本人は照れがあるらしく、ドレスの中に手を入れてガーターを外すようです。小五郎さんもそのつもりだったようで、英理さんのドレスに手を入れようとしたところ、有希子さんからこんな言葉が。

「小五郎君、手で取っちゃダメ! 口にくわえて外すのが本式なんだから!」

この言葉に、会場の盛り上がりもピークに。
こうなってしまうと、小五郎さんも引くに引けず、仕方がなく、口で外すこととなりました。後日の小五郎さんの談話によると、生涯でこれほどの屈辱を味わったことは他にはない、とのことでした。

ちなみに、このガータートス。その場の独身男性がほとんど参加し、そのほとんどが警察関係者で占められていたのですが、参加者が参加者なだけに、その争いは凄まじいものとなりました。

では、ここで、その熱戦の勝者を紹介しておきましょう。
その勝者とは、新一君の予告通りの人物、服部平次君です。彼の場合、率先してというわけではなく、誘われるがままに参加したのですが、いざ勝負となれば、そこは元来の負けず嫌いを発揮、並み居る猛者たちに競り勝ったのでした。これには、本人以上に和葉さんが大喜び。そんな和葉さんの様子を不思議そうに眺めているところを見ると、平次君はどうやら自分がガーターを取ったということが何を意味しているのか理解していないようですね。

ここで一つ、ガータートスについて補足しておきましょう。
ガータートスは1回、つまり片方の足の分しか投げません。では、もう片方のガーターはどうするのかと言うと、生まれてくる子供の頭に被せるとか。ちなみに、このことを有希子さんが小五郎さんと英理さんに後から耳打ちしたことは言うまでもありません。

空がオレンジ色に染まりだす頃、宴はそろそろ終焉の時を迎え、船も港に戻るべく航路を変えております。その頃、甲板には盛り上がるパーティー会場を抜け出し、潮風と夕陽を浴びているカップルが1組。
本日の1組目の主役である新一君と蘭さんです。

「新一が言っていた服部君のフォローって、ガータートスのことだったんだね。それなら、私にも教えてくれても良かったんじゃない?」
「蘭のことだから、ブーケのことで和葉ちゃんに謝りに行くだろ? その時にもしガータートスのことを知っていたら、口止めしておいても和葉ちゃんに話しちゃうだろうと思ってさ。和葉ちゃんの耳に入ったら、当然、服部の耳に入るし、そうしたら、アイツのことだから士気が下がるか、逆に気合が空回りするだろうから、蘭にも黙っていたというわけさ」
「ふーん、私ってそんなに信用が無いんだ」
「バーロ、そんなんじゃねーよ。オメーはほら、嘘を付いたり隠し事をするのが苦手だろ? それに、和葉ちゃんだって、そんな無理してる蘭に気付かないってことも無いだろうからさ」
「言われてみればそうかもね。でも、服部君がガーターを取ってくれて、本当に良かったわ。きっと、私からブーケを渡すよりも、和葉ちゃんも喜んでくれたと思う。早く、二人にも幸せになってもらいたいんだけどね」
「ああ。まあ、あの二人なら大丈夫だよ。切っても切り離せない仲って感じだしな」
「そうだね」
「あ、そうだ。今朝、母さんが言ってたんだけど、夏休みにロスでもパーティーをするみたいだぜ?」
「パーティーって、披露パーティーを?」
「ああ。ほら、今日はおじさんとおばさんに主役を渡してしまったようなもんだろ? それに、アメリカにも色々と世話になった人はいるからな。ただ、母さんのことだから、普通では済まないと覚悟しておいた方が良さそうだけど」
「そうなんだ。まさか、もう一度このドレスを着れるとは思いもしなかったから、素直に嬉しい話だよ。ホント、どうしよう? お父さんとお母さんも再出発してくれたし、私今、幸せすぎて怖いんだけど?」
「バーロー、これくらいで満足してちゃ、この先が大変だぜ? 俺がもっと幸せにするんだからさ。さっきも約束したしただろ? 蘭を誰よりも幸せにするってさ」

鮮やかの夕陽の下、口付けを交わす二人の姿がオレンジ色の優しい光の中に溶け込んでいきます。たまたまその光景を見ていた船員の話によると、その長さは先ほどの挙式の時よりも長かったとか。

この日を迎えるまでに、どれだけの紆余曲折を経てきたことでしょう。これからも、様々な困難が待ち受けているかもしれません。でも、大丈夫。このどこまでも続く空と海、そして、彼らを慕う多くの人たちがいつまでも温かく見守っています。そして、彼らにもまた、強い意志があるのですから。そう、この日書かれた2組の結婚誓約書の文面のように。

私たちは、
この限りなく広がる海と大空のもと、
神と証人の前で
結婚を誓約します。
私たちは、
互いに信じあい、助け合い、
絶ゆることのない愛をつちかい、
夫婦として共に歩むことを
ここに宣言します。

これからもきっと、あの甲板へと続く廊下に飾られたような写真が増えていくのでしょうね。
末永くお幸せに――――

やっと、やっとのことで完結です。
今まで、ここまで文章を書くのに苦労したことはありません。書き直しても書き直しても、形にならなくって……。6話目までは2週間で書き上げたんですよ。それが、この7話だけで1年。冗談みたいな本当の話です。

ところで、この「Wの喜劇」というタイトルに、2つの意味が込められていたことにお気付きでしょうか?
1つは、結婚(wedding)のコメディ。もう1つは、二重(double)の喜びごとの意味です。

新一×蘭の結婚式を書くと見せかけて、結局は小五郎×英理で書いているあたりは留意らしいですね。その上、すっかり結婚式の豆知識みたいな文章になってますし。

突っ込みどころは、本当に沢山あります。
例えば、フラワーガール等をするには、探偵団の年齢では遅すぎだったり、出席しているはずの人物(高木刑事、京極さん等)が登場してないとか……

留意の文章力ではこれが限界です。
どうか、お許し下さいませ。

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