7. Happy Wedding(前編)

『ジューンブライド』
西洋では、6月が女性と結婚生活の守護神ジュノーの月であることから、この月に結婚すると幸福になれると言われています。

潮の香りのする爽やかな風の元、工藤新一君と毛利蘭さんの結婚を祝福する人々が次々と、この日の式場となっている鈴木財閥所有の客船へと乗り込んでいきます。
一方、この日の主役である新郎と新婦も着替えを済ませ、それぞれの控え室にて待機中で、時間の経過と共に増えるお祝いや冷やかしの言葉をかけに来る人たちの対応に追われています。

例えば、新婦側の控え室では――――

「ワァー!」
「スゲー!」
「蘭お姉さん、キレーイ!」
「ありがとう、歩美ちゃん。それに、みんなも」
「いえいえ。それより、本当に僕で良かったんですか? リングベアラーって、大切な役目なんですよね?」
「俺なんて、聖書を運ぶ係りだぜ。えーと、確か……」
「ページボーイですよ、元太君」
「おう。ソレだ、ソレ」
「私もフラワーガールって言って、蘭お姉さんの前を歩いて、お花の香りで清める係りなんだよ。今からものすごく緊張してるもん」
「みんなは、私にとっても、新一にとっても大切なお友達だからお願いしたのよ。だから、みんなも自信をもってやって欲しいんだけどな」
「そういうことでしたら」
「任せておけよ!」
「うん。私も頑張る!」
「みんな、今日は宜しくお願いします」
「「「ハーイ!!」」」
「さて、そろそろみんな、リハーサルに行く時間じゃぞ」
「それじゃあ、式場でね。それと、哀ちゃん、ちょっと……」
「何かしら?」

「ゴメンね? 本当は哀ちゃんにもトレーンベアラーをお願いしたいと思っていたんだけど、人前式結婚式の形を採ったから、動きやすいようにってベールを短くしちゃったもので……」
「いいわよ、全然気にしてないから。それに、私の柄ではないと思うし」
「そんなこと無いよ! だから、お詫びといってはなんだけど……、このフラワーブレスを受け取って欲しいの。これね、私のブーケと同じ素材で作ったものなの。今日の式ではわけがあってブーケトスをしないんだけど、哀ちゃんにも幸せになってもらいたかったから」
「私なんかが、幸せに?」
「そうよ。確かに過去のことはあるだろうけど、だからと言って、哀ちゃんが幸せになっていけないってことは無いと思うの。だから、ね?」
「でも……」
「私ね、最近になって思うことがあるの。もしもあの時、新一がコナン君になっていなくって、それまでと同じように日々を過ごしていたとしたら、どうなっていたのかなってことをね。きっと、哀ちゃんや歩美ちゃんたちとは、友達どころか、挨拶の言葉を交わすことも無かっただろうし」
「そうね……」
「確かに、あの頃のことは、辛くなかったとは言わない。けど、あの経験が無かったら、ずっと気付かないままでいたかもしれないの。自分達がどれだけ多くの人たちに支えられているのかってことや、普段、当たり前だと思っていることが、本当はどれだけ大切なことなんだってことをね。それに…」
「それに?」
「うん。それに、新一への自分の本当の気持ちにも、まだずっと気付けなかったかもしれないから」
「あら、いきなり、のろけ話?」
「そ、そんなつもりで言ったわけじゃないの。ただ、あの経験が無かったら、こんなに早く今日という日を迎えることは出来なかったと思うから、そのことを言っておきたくって……」
「心配しなくていいわよ、蘭さん。あなたの気持ちはちゃんと理解しているつもりだから。そうねえ、ここは、そのフラワーブレスを受け取っておいた方が得策のようだわ」
「じゃあ、もらってくれるのね!」
「ええ」

『哀ちゃーん、まだぁ?』

「ゴメンなさい。こんなに長く引き止めてしまって」
「いいのよ。それじゃあ、私もそろそろ行くとするわね」
「うん。じゃあ、コレ」
「ありがとう、蘭さん」

とまあ、こんな感じです。

一方、新郎側の控え室はと言いますと――――

「よお! 工藤。今日は、ホンマにおめでとう」
「服部、お祝いの言葉はありがたいけどさあ、オメー、この至近距離で、ちょっと声がデカ過ぎなんだよ。ったく……」
「何や、工藤。せっかくの晴れやかな日なのに、随分と機嫌が悪いのとちゃうか?」
「オメーって、ホント、オメデタイ奴だよな?」
「オメデタイのは、工藤の方やろ? とまあ、冗談はさておき」
「冗談って、オイ…」
「工藤が探偵業で報酬を取り出したって最初に聞いた時には、アイツは何を血迷ったのかと思ったが、何のことは無い。全ては、今日のこの日のためだったちゅうわけやな?」
「まあな」
「俺が男として認めただけのことはある。たいしたもんやな、工藤」
「そりゃ、どうも。なあ、服部。オメーもさあ、人のことをからかってなんかいないでさあ、自分の気持ちが揺らぐことは無いと思うなら、あんまり彼女のこと、待たせないほうが良いぜ?」
「な、何を唐突に!」

『平次、どこに居るのお?』

「か、和葉。アイツ、何てタイミングの悪い時に……」
「何や、やっぱり工藤君のとこやったんやね。そうそう、工藤君。今日はおめでとうございます。それにしても、今日の蘭ちゃん、ホンマに綺麗な花嫁さんやねえ」
「そりゃ、どうも」
「随分と素っ気無い反応やな、工藤。って、まさかお前、まだ、姉ちゃんの花嫁姿を見てへんとか?」
「ああ、どうせまだだよ。母さんが、式の当日までは絶対に花嫁姿を見るなとか、何とか言っちゃってさ」
「ゴメンね、工藤君。私、てっきり先に見ているもんやと思っとったから……」
「なーに、気にするなや、和葉。それより、俺もその姉ちゃんのとこまで案内してくれや。せっかくの機会だから、俺も工藤より先に、その花嫁姿を見てくるとするかな」
「服部、テメー!」
「ちょ、ちょっと、平次……」
「いいから、いいから」

「ねえ、新一君、いるー? って、私、もしかして、お邪魔だった?」
「構わへん。俺達も今、ちょうど部屋を出るとこやったから。ほな、工藤。また、後で!」
「覚えておけよ、服部!! で、園子、俺に何の用だよ?」
「うん。例の作戦の最終確認をしておきたいと思って。と、その前に、この際だから、一言、いい?」
「何だよ、藪から棒に」
「色んな人から散々言われてるんだろうけどね。新一君、蘭のことを絶対に幸せにしてあげてよ。新一君にしか、出来ないことなんだし! 私だって、新一君に負けないくらい、蘭のことを大切に思ってるんだから!」
「ああ。よーく、わかってるさ。ついでだから、俺からも一言。今日はその、何かと世話になったみたいで、色々とありがとうな。会場のこともそうだけど、今日、蘭が付けるティアラも、園子が貸してくれたんだろ?」
「『Something Borrow』ってやつよ。それに、私の時だって、蘭から色々と借りたものもあるし、これでお互い様。大切な親友のためだもん。コレくらいは当たり前でしょ?」
「そっか。まあ、俺がここで言うのも何だけど、これからも変わらずに蘭の親友でいてやってくれよな!」
「それこそ、誰に邪魔されようが、私達の友情が変わるようなこと、あるわけがないでしょ? 仮に、もし邪魔が出来る人間がいるとすれば、新一君、あんたくらいでしょうが!」
「そりゃ、そうだな」
「あーあ、ちゃっかり、のろけちゃって。あ、そうだ、新一君! 半年間、我慢しただけのことはあったみたいよ」
「あん?」
「今日の蘭、本当に綺麗なんだから! そうね、私が今まで見てきた中でも、間違いなく、ダントツで今日の蘭が一番ね。新一君、気を引き締めておいた方が良いかもね」
「ソレ、どういう意味だよ?」
「あまりにも花嫁が綺麗だからといって、花婿がニヤケっぱなしじゃあ、格好が付かないでしょ? って言ってるのよ」
「俺に限って、んなわけねーだろ?」
「それは、どうかしらねえ……、と、こんな風に話をしている時間はなかったわね。えーと、ここのタイミングを確認したかったんだけど……」

と、こちらも、慌しい時間を過ごしているようです。

さて、本日の新一君と蘭さんの結婚式でありますが、いわゆる人前結婚式という形をとっています。一般的にカジュアルな形となりがちなこの人前結婚式ですが、この日の結婚式は、こちらも有希子さんの提案で、本来の神聖な儀式に倣うべく、キリスト教式と同様の形式が採られています。この提案を、後に新一君が感謝することになろうとは、当の有希子さんも予想だにしなかったことでしょうが。

式まで1時間を切ったでしょうか。
この日の参列者全員が船に乗り込み、船が岸を離れようとする頃、牧師による新郎新婦へのカウンセリングの時間を迎えようとしています。
そうです。
この半年、いえ、この20年と言ったほうが正確でしょう。ようやく、式を直前にしたこの時になって、新一君は蘭さんの花嫁姿を目にすることが出来るのです。

カウンセリングは新婦側の控え室で行われます。
既に全ての準備が整い、メイクさんをはじめとするスタッフの人たちも全員控え室を去り、蘭さんは一人、少し落ち着かない様子でその時を待っていました。でも、もう大丈夫。その少し混乱している気持ちを鎮めてくれる人物が現れるのですから。

控え室のドアが静かに開きます。
ドアノブを片手に、暫し固まる人物が一人。想像を遥かに超えた最愛の人の花嫁姿の美しさに、一瞬にして意識が飛んでしまったようです。 さて、そんな沈黙を打ち破ったのは、蘭さんの方でした。

「どう、かな? このドレス」
「あ、ああ。よく似合ってるよ」
「良かったぁ。新一に相談しないで決めちゃったから、もしも、気に入ってもらえなかったらどうしようかと思ってたの」
「蘭が選んだドレスだ。だったら、俺が気に入らないなんてこと、あるわけねーだろ? それに、その、なんて言うか……」
「?」
「世界中の誰よりも、今日の蘭は綺麗だから」
「本当に?」
「ああ。けど、そのドレス、どっかで見たことがあるような気が……」
「あ、うん。コレね、20年前におばさまが着たものを、私に合わせてアレンジしてもらったものなの」
「母さんの?」
「そう。子供の頃に、新一の家でおじさまとおばさまの結婚式の時の写真を見せてもらったことがあったでしょ? あの時からの憧れだったの、私も大きくなったら、こんな素敵なドレスが着れたらなってずっと思っていたから。だから、おばさまから、このドレスを私に着て欲しいと言って頂いた時には本当に嬉しかったの。これは、『Something Old』だからとも言って下さったし」
「『Something Old』ねえ……、ったく、母さんにしろ、園子にしろ、どうして女ってやつは、こうもおまじないとかが好きなんだろうか……」
「良いじゃない。私達の幸せを願ってしてくれることなんだし。私、二人には、本当に感謝しているわよ」
「俺だって、ありがたく思っているさ。なあ、蘭。あのさあ、今までその……、辛い思いをさせたこともあったけど、これからはそんな思いはさせない。絶対に、誰よりも幸せにするから!」
「今でも充分に幸せだけど?」
「今よりもずっとだよ」

〜 トントン 〜

このまま、行くところまで言ってしまいそうな雰囲気でしたが、ここで一時中断。幸か不幸か、牧師さんの登場です。きっと、牧師さんも廊下にいた時点で、控え室の外にまで溢れ出していた甘〜い空気を感じていたでしょうから、さぞ、ノックをするにも勇気がいたことでしょうね。

さて、多少、三者三様にバツの悪い思いはしているでしょうが、カウンセリングは粛々と行われていきます。式次第の確認に始まって、今後の結婚生活を送る上での心構えなどが話されるのですが、この時間は二人にとって、特に新一君にとっては、高ぶった心を落ち着かせるための貴重な時間となったようです。

予想以上の長さだったので、前後編に分けての更新です。
しかし、ここに来てまだ式が始まっていないとは…… 書いている本人もびっくりです(苦笑)

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