「彼が今度転校してきた……」
「工藤新一です。よろしく」
(これで、何度目の挨拶になるのだろう?)
いつの間にか、好奇な目で見られることにも慣れてしまっていた。
私立武蔵野学園は、かつての街道沿いの、古くから賑わう商店街の外れに位置していた。
これといった特徴のある学校ではない。成績も部活動もそこそこ。
ただ、先日、生徒の一人が謎の死を遂げたことを除けば、ごく普通の高校だった。
この1年余り新一は、転校ばかりしてきた。
正確には、転校生の振りをしてきただけなのだが。
それぞれの学校にいたのは、長くても1ヶ月、短ければ数時間、平均しても5日くらいってところだろうか?
事件の臭いを感じては学校に潜入し、事件を解決すれば人知れず姿を消す・・・
たった、それだけのことを繰り返してきた。
抗えない運命だと新一とてわかっている。
だからこそ、深く考えることなく、ただ事務的に対処してきた。
今回もそのつもりでいた。
そう、彼女と出会うまでは――――
新一は何とも言い難い違和感を感じていた。その原因を掴めぬまま、この日最後の授業の体育を受けるべく、早々に親しくなったクラスメートたちと校舎裏を抜けて校庭へと向かった。
「転校早々に高田の授業とは、ついてないよな、工藤?」
「ん?」
「いやー、高田ってーのは、今時流行らない、いかにも体育会系って感じの熱血漢な教師なんだけど、最近、情緒不安定なところがあるっていうのか、急に怒りっぽくなったりしてさ。その都度、俺たちがとばっちりを受けるってわけ」
「そうそう。来年に解体する予定の旧校舎に、一人我が物顔で入り浸ってて、俺らが近付こうものなら、やたらと怒るんだよな」
「だから、工藤も気をつけた方がいいぜ、高田には」
「そうだな」
「ちなみに、あれが今言った旧校舎」
「へぇー……」
自然と歩みは止まる。
かつて校舎だったとは思えぬほどに、視線の先の木造の建物は朽ちて、全体が埃にまみれていた。
使われない校舎や教室がある場合、大抵、事件の要因はそこに集まる負の精気に因るものが大きいのだが、この旧校舎からは事件を引き起こすほどパワーは感じられず、微かに物悲しさが伝わってくるだけだった。
その日の放課後、新一は一人、図書室に向かった。
武蔵野学園の図書室は、玄関ホールのすぐ隣にある別館の2階にあった。
試験期間が終わったばかりということで、図書館を利用する生徒の数も疎ら。図書委員の生徒たちは、小声で楽しげに話し込んでいた。
図書室内をざっと巡った後、不意に、その内の一人と目が合った。
「ねぇ、もしかして君、今日2−Bに来たっていう、転校生じゃない?」
「ええまあ」
「やっぱりね! うちの学校って全校生徒がそんなに多くないから、大抵の生徒の顔を覚えちゃうのよね。まして、君みたいなイイ男なら尚更♪ それにほら、ここからだと、玄関ホールが丸見えでしょ?」
「なるほど。ところで、あのー」
「あ、ゴメン。私は3‐Aの清水涼子。まあ、ここの主みたいなもんね。そう言えば、君の名前もまだよね?」
「工藤、です」
「へぇー、工藤君か」
新一に声を掛けてきたのは、見るからに面倒見の良さそうな女子生徒。
本音を言えば、あまり誰とも馴れ合いたくはないのだが、嫌な表情は浮かべるようなことはしない。彼女みたいなタイプが一番の情報源だと、過去の経験から新一は知っていた。
「転校生っていうのも珍しいからね。今年だと毛利さんだけかな」
「毛利、さん?」
「そう。3ヶ月前だったかな、彼女が転校してきたのは。あ、ちょっと待っててくれる?」
そう言うと、清水は慌てて図書室を飛び出していった。
彼女の姿を目で追うと、一人の女子生徒と何やら話しこんでいる。間もなくして、その女子生徒を連れ、彼女は戻ってきた。
「待たせてゴメンね、工藤君。たまたま彼女の姿が目に入ったものだから……」
そこまで言って、彼女は少し荒くなった呼吸を整えるように深呼吸し、先ほどを変わらない笑みを浮かべ言葉を続けた。
「彼女がさっき話した毛利さんなの。で、彼が今日転校してきた工藤君よ」
一瞬、新一の動きが止まった。
彼女もまた、驚きの表情を隠せずにいた。
「はじめまして、毛利です」
「あ、どうも。工藤です」
たったこれだけの会話なのに、ぎこちなさは拭えそうにない。
「どうしちゃったの、2人とも? もしかして、顔見知りだったとか?」
「いえ、前の学校で似た人がいたものだから……」
「工藤君も、そんなとこ?」
「ええ、まあ……」
当たり障りの無い理由しか、2人は言うことが出来なかった。
「それじゃあ、清水先輩、私はこれで」
そう言うと、毛利と名乗った生徒は、慌てるように図書室を飛び出した。
そして、
「じゃあ、俺も」
「あれ? 工藤君は本を借りに来たとかじゃなかったの?」
「ええ。どれくらいの蔵書なのかを確認に来ただけですから」
「もしかして、毛利さんを追いかけるとかだったり?」
「そんなんじゃないですよ」
と努めて無関心を装い、新一もその場を後にした。
清水の指摘はあながち間違ってはいなかった。
ただ、理由は彼女が思っていたようなものではないのだが――――
日も傾き、商店街は買い物客と下校する生徒たちで賑わいを見せ始めていた。
人の流れに沿い、目立たぬように前を進む毛利という生徒に、新一は背後から話し掛けた。と言っても、実際に声を掛けるのではなく、相手の脳に直接声を伝えるという形で。
『お前、聖(=ひじり)だよな?』
新一の問い掛けに前を行く少女は足を止め、『ええ』と一言だけ、やはり声にすることなく答えた。
今までにも、現場で同業者(=聖)と鉢合わせになったことは数知れず。そんな場合、新一はいつもすぐに手を引くようにしてきた。仲間内での無駄な争いはしたくなかったし、何よりも無駄な時間を過ごしたく無かった。
ただ、今度は今までとは事情がかなり違っていた。
目の前の彼女は、今までに出会った誰よりも、聖本来の光を失っていたのだ。
『俺の名前は工藤新一。お前は?』
『蘭。毛利蘭』
『ここで立ち話をするのもなんだから、どこか一目に付かないような場所に案内してくれないか? 第一、こうして話をするのだって、かなり辛いんだろ?』
『うん……』
『心配するな。お前の手柄を横取りするつもりはないから』
『……』
蘭が案内したのは、商店街を抜けた先にある神社の境内だった。
人の気配がまるでない境内の、更に建物裏の日陰に、2人は腰を下ろした。
誰にも聞かれる心配が無くなり、2人は普通に会話を始める。
「2人きりの時は、俺のことは新一でいいから、俺もお前のことを蘭って呼んでもいいよな?」
「あ、うん……」
「さっきも言ったように、俺は蘭の手柄を横取りをするつもりはない。ただ、今のお前の状態は、同じ聖として、見過ごすわけにはいかないから」
「自分でも情けないと思ってる……」
吐き出すように言葉を紡ぐと、蘭は自嘲的な笑みを浮かべた。
その姿に、蘭の限界が近いことを新一は確信する。
「なあ、蘭。お前が武蔵野学園に転校してきてからのこの3ヶ月、まさか、一度も狩りをしていないとか?」
「うん……」
「ったく、自分のパワーを維持するくらいのカルマ(=業)なら、いつでも狩れるはずだろ? なのに、なぜ?」
「だって、どんなに僅かなカルマでも、その人の記憶の一部を奪ってしまうことになるでしょう? もし、失う記憶がその人にとって大事なものだとしたら、そう思うと……」
「お前ってさぁ、ホント、聖に向いてないよな?」
「自分でもそう思う……」
聖としての運命に、疑いを抱かなかったわけではない。むしろ、常に心の奥底で自問自答を繰り返してきた。
(もしかして、蘭は抗えるはずのない運命に抵抗しているのかも?)
力なく、そして悲しげに微笑む蘭の姿に、新一の心は大きく揺れる。
と同時に、蘭に強く惹かれていた。
「で、どこまで掴んでいるんだ? あの高田っていう体育教師が深く関係しているんだろ? おそらく麻薬か何か……」
「たった一日でそこまで掴めるなんて……、あなたの言う通り、高田先生は麻薬の取引をしているみたい。でも、高田先生が武蔵野学園を包む負の精気の元凶っていうわけではないの。本命は別にいる」
「本命?」
「うん。私が転校してきたばかりの頃の高田先生は、まだ麻薬に手を出していなかったと思う。高田先生の様子がおかしくなったのは、この1ヶ月くらいのことだし。それに、私は高田先生からのものとは別の精気を感じて、武蔵野学園に潜入したから」
「あのさ、蘭の能力って?」
「負の精気を人一倍敏感に感じることができるの。ただ、その強弱まではわからないから、誰が元凶なのかを突き止めるまでには、かなり時間がかかってしまって……」
「それで、3ヶ月か……」
「情けないよね……、でも、ようやくこの数日で目星は付いたから」
「目星を付けてても狩れてないってことは、確信を得るだけの証拠を得られてないってとこか……」
「うん……、この体では張り込みすらできなくて……。でも、おそらく、明日の夜には証拠が掴めるはずだから」
「というと?」
「明日の夜は新月でしょ? 私の調べでは今までの麻薬の取引は全て新月の夜にされてきたらしいの」
「なるほど、ね……」
翌日、新一と蘭は完全に無関係を装い、おそらく、この学校では最後となる一日を過ごす。新一は僅かな時間の中で、得られる限りの情報を集めて回ったが、蘭の言う本命にまでは辿り着けずに終わった。
放課後、廊下で蘭の後姿を見つけた新一は、誰にも悟られぬよう、そっと蘭の脳に直接語りかけた。
『今夜の取引の時間は?』
『1時のはず』
『取引場所は、あの旧校舎ってとこか?』
『ええ』
『そっか……、なら、1時間くらい前から張り込んでいた方が良さそうだな?』
『え?』
『昨日も言ったけど、蘭の狩りの邪魔はしない。ただ、フォローはするからな。その体じゃ、まともに狩りはできないだろ?』
『う、うん……』
『無理な申し出かもしれないが……、俺を信用しろ。決して、蘭の悪いようにはしないから』
『ゴメン……』
そう答えると、蘭は振り返ることなく頭を下げた。
日付が間もなく変わろうという頃、新一と蘭は図書室に向かった。図書室奥の窓が、旧校舎を一望するのに最適な場所だったからだ。月明かりのない、星が瞬くだけの空の闇が辺り一面を全て包み込み、昼間の喧騒が嘘であったかのように、静寂に包まれていた。
いつでも旧校舎に向かえるよう窓の鍵を開け、その時を待つ。
しばらくして、旧校舎の一番奥から、僅かな明かりが見えた。
『本星のお出ましのようだな。覚悟はいいか?』
『ええ』
この時、新一と出会って以来、初めて蘭の瞳に力が漲った。
音もたてず図書室から飛び降りると、そのまま一気に旧校舎を進む。
一番奥の教室を前にして、2人の足が止まる。
教室の外にまで、強大な負の精気が溢れ出していた。
『蘭、お前の得物は?』
『苦無だけど』
『苦無か。なら、俺がターゲットの動きを封じるから、蘭はその隙に仕留めろ。いいな?』
『うん』
蘭は小さく頷き、そのままフゥーと小さく息を吐き出す。
一呼吸置いて視線を上げると、勢いよく最後の扉を開けた。
「やはり、この麻薬取引の首謀者は、清水先輩、あなただったんですね?」
蘭の力強い声が、その場の静寂を一気に打ち壊す。
思いもよらぬ邪魔者の登場で、清水と高田が呆気に取られた僅かな隙に、新一の右手から伸びた鎖が高田の鳩尾を捉える。高田はそのまま意識を失い、その場に倒れこんだ。
「毛利さんに工藤君。どうして、あなたたちが?」
突然、目の前に広がった信じ難い光景に、清水は完全に混乱していた。
「あなたたちは、一体、何者? これは、どういうことなの?」
清水の怒声だけがその場に響き渡る。
再び静寂が戻るのを待って、蘭が静かに口を開いた。
「私たちは聖です。あなたのカルマを狩りに来ました」
蘭の言葉が終わるや否や、新一の鎖が今度は清水の両腕に絡みつく。
動きを封じられた清水の元に、蘭が一気に駆け寄り左手で口を塞ぐと、右手で苦無を頭上に構えた。
「ごめんなさい、清水先輩」
その瞳に涙を湛えながら、蘭は一気に清水の額に苦無を突き刺す。その瞬間、激しい閃光が辺りを包んだ。
しばらくして、深夜の武蔵野学園に数台のパトカーと救急車が到着する。
普段使われていない旧校舎で、意識を失った教師と生徒が発見されたという衝撃的なニュースは、深夜に関わらず、瞬く間に広がっていった。
清水のカルマを通して蘭が知った事件の真相はこうだった。
子供の頃から両親が多忙で、家で一人きりで過ごしてきた清水は、いつの頃か、押し潰されそうな孤独を紛らわすために、自然と繁華街に足を踏み入れるようになっていた。
裏の世界に顔を出すようになったのは、それから間もなくのこと。清水はそこで、その後の人生を狂わす“癒し”を覚えてしまう。粗悪な麻薬を売り、壊れていく人間を見下すことで、孤独を紛らわすようになっていた。
同じ頃、高田も人知れず悩み続けていた。高い志を抱いて手に入れたはずの教職が、あまりにも理想の世界とかけ離れていたことに、日に日に絶望の思いを強めていった。
そんな2人が闇の世界で出会うのは、自然の流れだったのかもしれない。清水の悪魔のささやきに唆され、高田が麻薬に手を出すようになるまでには、それほどの時間を要さなかった。
先日発見された変死体は、そんな2人の取引を目撃してしまった生徒を、口封じのために高田が殺したという。
これらの事実が世間に広まるのは、新一と蘭が武蔵野学園を立ち去ってから数日後のことなのだが。
清水と高田が救急車で搬送されるのを確認して、2人はその場を立ち去る。
群集から抜け出し、最後にもう一度だけ振り返った。
「俺と組んでみるか?」
「え?」
「その体じゃ、まだまだ本調子ってわけにはいかないだろ?」
新一の視線は武蔵野学園に向けられたまま。
「それに、今までのやり方では、これからも必要以上に時間が掛かるだろうし、この先も同じように続けるって言うなら、蘭、本当に死ぬことになるぞ?」
「でも、私なんかと一緒では、あなたの足手まといになるだけだから……」
「バーロ、その逆だよ。蘭の精気レーダーと俺の推理力をもってすれば、向かうところ敵なしだから、な?」
「精気レーダーって……」
暗闇の中、蘭の瞳に、微かに紅くなった新一の頬が映る。
蘭の右手が、自然と新一の左腕を掴んでいた。
「宜しくお願いします」
これが、2人の新たなる始まりだった。
そして、新たなる出会いがすぐそこに・・・
「あのー、ちょっといいかな?」
「あ、はい」
「もしかして、君たちが通報したのでは?」
「いえ。違いますけど」
「おかしいなぁ、絶対、君たちだと思ったのに……。まあいいか。僕、警視庁の安部章。たぶん、この先も君たちとは何かと縁がありそうだから・・・」
「「え?」」
この話はプロローグなので、わざと少し堅い文体で書いていますが、次回以降は、徐々に砕けた感じになっていきます。
作中、意味不明な用語が使われていますが、これらは次回に一通り解説します。なので、今回はあまり深く考えず、雰囲気だけで読んで頂けるとありがたいです(苦笑)。
ちなみに、新一と蘭の得物についてだけ言い訳をすると、新一の鎖については留意の一番好きな得物ということで……、本当は、平次に持たせたかったんですが(爆)、平次は侍キャラなので泣く泣く断念しました(意味不明という方は、過去の日記を読み返せばわかるかと・・・苦笑)。
蘭ちゃんの苦無は、単純に響きが好きだったからだったりします(苦笑)。