「ねぇ、本当に大丈夫? 無謀過ぎじゃない?」
「あん?」
「だって、中学生だよ? それに、このパステルカラーの制服も、ちょっと可愛過ぎっていうか、コスプレみたいで……」
そう言って、蘭は僅かに頬を染めた。
金曜日の夕方、新一と蘭は車の往来の激しい国道を歩いていた。
新一と蘭が組むようになって1ヶ月が過ぎようとしていた。
聖としての体力が激減していた蘭のことを考え、この1ヶ月、新一は自らは狩りをせず、蘭にだけ簡単なカルマ狩りをさせてきた。
聖はカルマを狩ることを条件とし、人間世界で生きていくことを許されている。否、許されているとされている。なぜなら、誰もカルマを狩らない聖を知るものはいないからである。
ちなみに、カルマとは業のことで、業とは人間の行為とその結果を意味し、言動や思いも含まれている。聖が狩るのはカルマの中でも負のカルマで、このカルマが聖としてのエネルギー源となっていた。
「気にするなって。充分似合ってるからさ」
「何か適当に答えてない?」
「お世辞を言ってるつもりはないどなぁ」
新一は微笑って、空を見上げた。
不意に2人の足が止まる。前方に人垣を見つけたからだ。
蘭の表情が一瞬して変わる。
「大物、なのか?」
「うーん、カルマが集まり過ぎてて、ちょっと混乱しちゃって……」
「行けそうか?」
「ええ。問題ないわ」
現場は国道に面した郊外型のショッピングセンターの駐車場で、既に、十数台のパトカーが到着し、規制線も張られていた。人々の視線の先に目を向けると、右手に刃物を持った一人の若い男が、幼稚園児くらいの男の子を人質にし、何らかの要求を突きつけているようだった。
野次馬の対応をしている若い警察官を見つけ、新一は彼の脳に直接問い掛ける。
『何が起こってる?』
警察官は一瞬にして一種の催眠状態に陥った。
「男の名は住所不定の大田幸一、19歳。麻薬の密売人だ。逮捕に向かった我々の動きを察知して車で逃走を図ったが、このショッピングセンター前でパトカーに囲まれ駐車場に逃げ込み、車を降り近くにいた子供を人質に取ったというわけだ」
「なるほどね……、情報提供をありがとう」
間もなくして、警察官はハッと我に返る。直前の数分の記憶が消えていた。
「あれ? 俺はここで何をしてるんだ?」
「ねえ、まさか新一、こんなに大勢の人の目の前で、狩るつもりなの?」
「まあ見過ごすわけにはいかないだろうな。警察は簡単に手を出せずにいるようだし、犯人も今の緊張状態をそう長くは保てそうにない。それに、人質の子供の状態も良くないようだ」
「でも、目立つ真似は……、私たちの存在は公に出来ないんだし……」
「ああ、わかってる」
人の群れの中を抜けながら、新一は僅かに眉を顰めた。
犯人は建物を背にし、その犯人を取り囲むように、コの字型に人垣は出来ていた。犯人との交渉は、主に正面の陣取った刑事がしていた。犯人は逃走用の車と、我が身の安全を要求し続けていた。
2人が人垣と建物との境近くに着く頃、僅かに状況が変わる。
犯人から見て左手の人垣から、別の刑事が交渉を始めていた。自ずと犯人の注意も前方と左手の両方に向けられるようになった。
不意に新一の視線が、ホームセンター前で売られているサッカーボールを捉える。
「ダメもとでやってみっかな」
「え?」
人々の視線が自分に向けられていないことを確認し、新一はサッカーボールを手にすると、タイミングを見計らってボールを蹴った。人垣の合間をすり抜けるように、音も立てずサッカーボールは犯人の足元へと転がっていく。人々は魅入られるように突然現れたボールの動きを追う。野次馬たちの雰囲気が変わったことに犯人は困惑したものの、自分の足元にサッカーボールが近付いていることには、まるで気が付く様子は無かった。
ボールが足に当たり、驚いたように犯人は振り向く。警察はその瞬間を見過ごさなかった。人質の子供の首元から刃物が離れたのと同時に、一発の銃声が響き渡る。犯人の右手が撃ち抜かれ、刃物が遠くにまで飛ばされると、僅かな沈黙の後、今度は子供の泣き声が響いた。
「ったく、警察もこの人込みの中で無茶をしやがる」
「え? 新一がそう仕向けたんじゃないの?」
「まあな。犯人の背後は店の壁だから、腕のいい人間なら、被害者を出さずに済むかなと思って」
悪戯っぽい笑みを浮かべたかと思うと、すぐに新一の表情は真剣なものへと変わった。
「面倒なことにならないうちに、ここからを離れないとな」
近くにいた人々の記憶を僅かに操作すると、新一は蘭の手を取り、足早にその場から立ち去った。間もなく人垣を抜けるようというその時、蘭のもう一方の手が掴まれた。
「え?」
「どうした?」
2人の目の前に、一人の男が現れる。
「君たちはすぐにこの場を立ち去らないといけないんだろ?」
「あなたは確か、安部刑事」
「名前を覚えていてくれて嬉しいよ。とにかく、今は僕を信じて、2人とも一緒に来て」
「まさか、僕たちのことをずっとマークしていたわけではないですよね?」
しばしの沈黙を破ったのは新一だった。安部に言われるままに車に乗り込み、事件現場を離れてから既に10分以上は経過していた。車は赤信号で停車する。
「本当に単なる偶然だって。今日は非番で、たまたまあのショッピングセンターに買い物に行ってたんだ。そしたら、あの事件だろ? しかも、君たちの姿まで見つけたものだから、僕も驚いたよ。この間も言ったけど、僕たちはホント、何かと縁があるみたいだね」
「縁、ですか……」
「この間君たちに声を掛ける前にも、僕は君のことを2回見かけてるんだよ」
「え?」
ルームミラー越しに新一の視線を捉え、安部は軽く笑う。
「3ヶ月くらい前だったかな? 男子校の校内で傷害事件が起きた時の現場が最初で、その次は、1ヶ月前の女子高生の自殺未遂事件の時。確かに、同級生に混じった君がその場にいたはずなのに、どういうわけが名前はおろか、存在すら確認できない。制服を着ているってことは、その学校の生徒のはずなのにね。それ以来、ずっと気になってたんだよね。それに、独特の存在感もあったから。だから、この間、思い切って声を掛けてみたんだけどさ」
新一は何も答えない。蘭もまた、怯えた様子のまま沈黙を続けていた。
信号が変わり、車はゆっくりと走り出す。
「君たちは一体、何者なんだい?」
安部の唐突な問い掛けに、2人は思わず、目を見張った。
「いやね。どうやら君たちは人の記憶を操作できるようだし、それに、テレパシーみたいのも使えるんだろ?」
「どうしてそれを?」
「さっきも言ったように、君のことを調べようと思っても、誰も君のことを知る者が現れない。ていうことは、何らかの方法で記憶操作をしてるのかなっと思って。それと、この間、君たちに話しかけた時に、声に出していないはずの君たちの会話が聞こえたものだから……」
「安部さん、あなたこそ何者ですか?」
「僕はただの人間だよ。ただちょっと、人よりいわゆる霊感って奴が強いだけなんだ。でも、君たちは人間ではないよね?」
ルームミラー越しに人懐っこい笑みを浮かべたまま安部は問い掛けるが、新一も蘭も口を開く様子はない。諦めたのか、安部は真剣な表情へと変わる。
再び、しばしの沈黙が続いた。
「子供の頃に、父から聞いたことがあるんだ」
安部は視線を前方に向けたまま、独り言のように語りだした。
「僕の実家は代々宮司を務めてて、父もやはり宮司だったんだ。ただ、父も母も僕が小学校に入学する前に、事故で死んでしまったのだけど。神社は今も祖父と姉が守ってくれてるから、僕はこうして警察官でいられるのだけどね。その神官だった父が亡くなる数日前に、この世には、人心に巣食った瘴気を払う、聖と言う存在がいると教えてくれたんだ。もしかして、君たちがその聖なんじゃないのかい?」
「仮に僕たちが聖だとして、安部さん、あなたは何の目的で僕たちに近付いたんですか?」
「協力できることがあるんじゃないかなっと思ってね。犯罪を未然に防ぎたいという意味では、僕たちは同じ目的じゃないのかな?」
「今さら否定しても無駄かな……」
僅かな沈黙の後、新一は自嘲するような表情を浮かべ、すぐに視線を厳しいものへと変えた。
「確かに、あなたの言うように、僕たちは聖です。だが……」
「本当にいいの?」と首を傾げた蘭を諭すように、新一は大きく頷く。
「協力はできない」
「それは、人間とは馴れ合うわけにはいかないってことかな?」
「そう捉えてもらって結構です」
ルームミラー越しに新一の真摯な表情を捉え、安部は「そうか……」とだけ呟いた。
車内に静寂が戻る。
車は市街地を抜け、寂れた工場が連なる地域を走らせていた。
その地域も抜けようという時だった。
「あ!」
蘭が何かに気付いたように声を上げる。
「どうした、蘭?」
「この近くに、深い哀しみと絶望を感じるの」
「悪い、安部さん、今すぐ車を止めてくれ!」
車を降りて辺りを見渡しても、廃れ果てた商店街には人の気配は感じられなかった。
「蘭、方角とか、わかんないか?」
大きく深呼吸をし、蘭は瞳を閉じて、全神経を集中させる。間もなくして、蘭の右手がまるでダウジングのように、近くの解体予定のビルの屋上を指差した。
「たぶん、女の子。私と変わらないくらいの」
新一は軽く頷いて、蘭の指差したビルへと走り出す。簡単に設置された柵を超え、非常階段を昇りきると、蘭の言った通り、セーラー服姿の一人の少女が立ち尽くしていた。
「止めときな!」
突然、掛けられた声に、少女は思わず振り返った。
「あなた、誰?」
「今はそれどころじゃないだろ?」
「……そうね、関係ないわよね……」
言って、少女は再び、ビルの下を望む。
「ちょうど良かった。思い切りがつかなかったのよね」
振り返って、哀しみに満ちた笑顔を浮かべると、少女は体を前方へと傾ける。
次の瞬間、辺りに金属音が鳴り響いた。
「何なの、これ?」
少女の左腕に、新一の右手から伸びた鎖が巻きついていた。
「あなたがしようとしていることは、形はどうであれ殺人です」
「何なの、あなた? 私の命なんだもん。私がどうしようと、あなたには関係ないでしょ?」
「目の前で人殺ししようとしているのを、見過ごすわけにはいかない!」
新一が言い放った声は名瞭だった。
「新一!」
「ありがとな、蘭。どうにか、間に合ったみたいだ」
視線を少女に向けたまま、新一は蘭に声を掛ける。
「安部さん、これから見ることは、どうか口外しないで頂きたいんですが?」
「あ、ああ……」
安部は新一の言葉に抗い難いものを感じていた。
「蘭、頼む!」
「あ、うん」
蘭の返事と同時に、新一の左手から突如現れた鎖が少女の右腕を捕らえ、そのまま屋上の中央へと引きつける。狼狽する少女を前にし、小さく「ゴメンね」とだけ言葉にし、蘭は少女の額へと苦無を突き刺す。次の瞬間、辺りに閃光が広がった。
光が消えた後、安部はすぐに、蘭の腕の中で意識を失っている少女の元に歩み寄る。不思議なことに、鎖や苦無はどこにも見当たらず、その上、少女の両腕はおろか、額にすら何ら傷のようなものを見て取れなかった。
「これは、一体……」
「俺たちは決して人を傷付けたりしない。ただし、それは外見上のことで、記憶の一部を奪いはする」
「記憶の一部!?」
「ええ。僕たちはあなた方の言う瘴気を餌に生きています。僕たちはその瘴気をカルマと呼んでいますけどね。ほら、自業自得という言葉があるでしょ? その業がカルマと言ったらわかってもらえるでしょうか?」
「あ、ああ、何となくは……」
「僕たちはカルマを狩る際、そのカルマに関連した記憶も同時に奪います。同じことを繰り返してしまうことになり兼ねないものですから」
「ああ、なるほど」
「なので、この少女に関しても、救急車や警察を呼ぶような真似はしないで下さい。彼女は、直に意識を取り戻しますので」
「あ、ああ、わかった」
「それと、すみませんが、彼女を下まで運んで頂けますか? 僕は蘭についていてやりたいので……」
見ると、蘭の瞳から大粒の涙が零れ落ちていた。
「彼女が意識を取り戻す前に、さあ、早く!」
新一に促され、安部は少女を抱きかかえ、その場を後にする。
階段を数段下ってから、気になって振り返ると、新一は蘭の正面に座り、額を重ねるように向き合っていた。
意識を失ったままの少女を、安部は近くの公園のベンチに座らせる。彼女の身元を確認しようかどうかしばらく迷ったが、そのままにし、彼女の元を後にした。
公園の入り口に新一の姿を見つける。
「蘭さんと言いましたっけ? あの、彼女は?」
「すみませんが、先に車に戻らせました」
「ああ……、あの、一つ聞いても良いかな?」
「何でしょうか?」
「新一君だっけ? 君と蘭さんはどういう関係なんだい? いや、さっき、額を合わせているとこと見ちゃったものだから……」
新一は僅かに頬を染め、苦笑した。
「単なるパートナーですよ」
「パートナー?」
「ええ。聖は大抵、1人もしくは2人で動くものです。ごく稀に、グループを作るのもいるみたいですがね。僕もつい最近まで1人で動いていたんですが、あなたに声を掛けられたあの武蔵野学園の事件以来、蘭とパートナーを組むことにしたんです。彼女、狩りを全然していなかったせいで、相当弱っていたものですから。ちなみに、さっき額を重ねていたのは、蘭があの子から奪った記憶を共有するためです」
「共有?」
「僕たちは普段、脳内で会話したり、人の記憶を操作する時には、額に意識を集中して、脳に直接語りかけるんです。そして、カルマを狩る時も、必ず額からです。一本しか角の無い鬼がいますよね? あの鬼の角の付け根のあたりが、僕ら聖にとっての全ての入り口みたいなものだと、イメージしてもらえるとわかりやすいかと」
「なるほど。では、先ほどの蘭さんの涙は?」
「あの子の痛みを、自分の痛みのように受け止めてしまったようですね。彼女は聖としてははあまりにも優しすぎるから……」
言って、新一は苦笑しながら、軽く溜め息を零した。
ベンチの少女の意識が戻ろうとしているのか、彼女の体が動き始めた。
「もう立ち去っても大丈夫みたいですね」
車はあのショッピングセンターのある街へと向かっていた。
「今、見て頂いたように、僕たちは確かに犯罪や事故といったものを未然に防ぐ努力をしていますが、僕たちの動きは、決して公にするわけにはいかないんです。人の記憶を操作していますからね。なので、言葉は悪いかもしれませんが、あなたの点数稼ぎの協力は無理なんです」
「今の話だと、僕ら人間の協力があったからといって、君たちに不都合があるってわけでもなさそうだね?」
「まあ、そうですが……」
「僕だけだと限らないんじゃないかなぁ、君たちの存在に疑問を抱く人間は」
「確かに」
「全部のフォローはさすがに無理だけど、警察官として、君たちの存在を隠す手助けくらいは出来ると思うんだけど?」
「安部さん、どうしてあなたはそこまで、僕たちとの関わろうとするんですか?」
「君はさっき、点数稼ぎだと言ったけど、そんなつもりはないんだ。傷付く人が1人でも減ってくれさえすれば……。こんな奇麗事を言っても、信じてはくれないかもしれないけど、僕が警察官になったのも、そのために少しでも役に立てればと思ってのことだったから……」
言った安部の瞳に、一転の曇りも無かった。
「安部さんは捜査課の所属ですか?」
「いや。少年事件課だけど。それが何か?」
「いえ、ちょっと……」
しばしの沈黙が続く。
「あなたの思いはわかりました。けど、少し時間を下さい。蘭ともよく相談したいですから……」
言って、新一は横に座り、沈黙を続けていた蘭を見やる。
新一の思いを汲み取り、蘭はふわりと笑った。
この時、新一と蘭の瞳からは、安部に対する疑いの色は消え去っていた。
気が付けば、半年近くも更新してませんでした・・・(冷汗)。
今回は説明描写が多いこともあって、新一の書き方が微妙かも? 相変わらず、堅苦しいですしね(苦笑)。
この話は、進んでいくに連れ、どんどん文体が砕けていく予定ですので……