冬期湛水水田とは何か?(平成18年版)

記録:平成15年5月頃
掲載:平成15年6月頃
全面改訂:平成18年6月10日

チーム田力 文芸編集部 高奥満 



目    次

[1]冬期湛水水田の概要
[2]冬期湛水による効果
[3]冬期湛水水田に様々な効果をもたらすトロトロ層
[4]雑草抑制効果
[5]施肥効果
[6]農作業の効率化と水資源の効率的利用
[7]生物の多様性と害虫の抑制
[8]水鳥とアカガエルと環境教育の効果
[9]安心な食料を生産する効果
[10]冬期湛水水田のマイナス効果
[11]冬期湛水水田のマイナス効果の解決策
[12]冬期湛水水田からの温室効果ガス
[13]江戸時代の冬期湛水水田
[14]湿田の乾田化が進んだ明治から昭和の時代
[15]平成の冬期湛水水田
[16]冬期湛水水田の「人間多様性」効果について
[17]農村社会の「ゲゼインシャフト」
[参考]冬期湛水水田とは何か?(平成15年6月 記述)



[1]冬期湛水水田の概要
 「冬期湛水水田」とは農閑期(冬期から早春期)にも水田に灌漑し水を張る水稲農法のことです。
 通常の農法は農閑期に水田を乾燥させるため、この農閑期の湛水が冬期湛水水田の大きな特徴となっています。。
 また冬期湛水水田は代掻きや耕起を省略した不耕起栽培とセットで行われることが多く、これも冬期湛水水田の特徴の一つとなっています。

注1) 冬期湛水水田は「冬水田んぼ」、「ふゆみずたんぼ(ふゆ・みず・たんぼ)」、「田冬水」とも呼ばれることもある。
注2) 通常の稲作では乾土効果の発現や耕作土の団粒化促進、または耕盤の養生を期待して農閑期の水田を耕起し、乾燥させるのが一般的である。

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[2]冬期湛水による効果
 このような農閑期に灌漑を行うことで得られる効果には、以下のようなものが挙げられます。
 ・省力型農法として、不耕起栽培を効果的に行ことができる。
 ・付加価値型農法として、農薬を使わない稲作を効率良く行う
  ことができる。
 ・環境配慮型農法として、水田に多くの生き物を涵養できる。
 以上に挙げた以外にも、施肥量を減じる効果が期待されたり、また不耕起による代掻き用水節減により、地域の水資源が効率的に利用されることも期待されたりします。さらには水田が冬期間に日本に飛来する白鳥などの餌場にもなり、こういった生物の多様性を向上させる効果には大きなものが期待されているところです。
 このように多面的な効果が期待される冬期湛水水田ですが、いずれの効果についても学術的に検証途上であり、その効果を断言するには、もうしばらくの時間が必要なようです。

 以下、学術的に確立されたものではなく、さらにまた農業及び環境に対し、素人的知識しか有しないチーム田力の高奥が解説することを断った上で、各地の冬期湛水水田の観察に基づく、その効果について考察したものを記してみます。


注3) 高奥が調査した冬期湛水水田は、宮城県北地方の栗原市金成、同志波姫、同築館、登米市迫町、石巻市河南、大郷町、色麻町の農家で取り組まれていた冬期湛水水田である。
参考 冬水田んぼツアー(平成16,17年)

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[3]冬期湛水水田に様々な効果をもたらすトロトロ層
 冬期間から水田に水を入れることで、田植え時期までの水田には膨大な量のイトミミズが繁殖します。このイトミミズは水田土壌を体内に取り込むことで、多くの菌類を付加させ、そして細粒化した微少な土壌を水田表面に堆積させます。このように堆積した土は「トロトロ層」と呼ばれ、冬期湛水水田に諸々の効果を生み出します。そして、耕起や代掻きを省略すれば、トロトロ層は撹拌されずにそのままの堆積した状態を維持するので、より冬期湛水水田の効果を高めていくことができます。

注4) 冬期湛水水田は必ずしも不耕起で行われるわけではなく、秋耕や春耕を省略しながらも、移植作業や雑草防除を目的として、簡易な代掻を実施(半不耕起)する農家も多い。また春期までのトロトロ層厚の確保を意識しながらも、稲刈作業で凹凸の生じた田面の均平化や漏水の抑制を図るため、冬期に代掻きを行う農家もある。
参考 冬期湛水水田のイトミミズ調査(平成15年12月〜平成16年12月)
冬期湛水水田のトロトロ層調査(平成16年5月 チームTARIKI)
冬期湛水水田のトロトロ層調査(平成16年7月 チームTARIKI)
冬水田んぼツアー(平成17年)
注5) イトミミズが水田にもたらす波及効果については、栗原康、菊池永祐らが報告している。「イトミミズと雑草」東北大学理学部 栗原康 日本農
芸化学会「化学と生物」1987年

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[4]雑草抑制効果
 イトミミズにより形成されるトロトロ層は雑草の種子から酸素を遮断し、その発芽を抑制します。冬期湛水水田を始める農家の大部分は、この雑草抑制効果に期待して取り組む場合が多いようです。またトロトロ層は、発芽抑制だけではなく、雑草の活着阻害や、除草作業の効率化といった面でも効果を発揮するようです。
 水田に発芽する雑草の芽は、田面水から受ける浮力に抵抗するため、貧弱な根を土に固定させます。しかし、その固定する土が流動化著しいトロトロ層であれば、芽は浮力に耐えられず水に浮いてしまうことでしょう。これがトロトロ層による活着阻害です。
 農薬を使わない稲作においての最終的な雑草対策は機械や手取りによる除草になりますが、これについても雑草を固定する土がトロトロ層であれば、雑草を引き抜くのにそれほど大きな力が必要なくなりますから、除草作業も効率的に行うことができます。
 これ以外にも冬期湛水水田には、リン酸分を田面水に多く湧出させることで(「7]生物の多様性と害虫の抑制」の項参照)水を濁らしたり、また浮き草やサヤミドロ等が増えることで、雑草の種子を日光から遮断し発芽を抑制する効果があります。また直接的には冬期湛水水田の効果ではありませんが、有機肥料を散布することで、田面水に有機酸を発生させ、それにより雑草の根を腐らして雑草を抑制する方法もあるようです。
 以上の効果は、冬期湛水に加え、深水や有機肥料の施肥を組み合わせることで、その効果を高めることができますが、実際の冬期湛水水田を観察する限りでは、こういった雑草の抑制効果は限られたものであるようです。特にクログワイなど多年生水生雑草に対しての雑草抑制効果はほとんど期待できないようです。

注6)  水田雑草には、様々なものがあるが、冬期湛水水田で効果的に抑制できると考えられるのはヒエやイボクサ、スズメノテッポウなど、発芽に酸素を要求する種子発芽雑草のようである。有機栽培で問題となることの多いコナギやホタルイは発芽にそれほど酸素が必要でなく、冬期湛水水田の雑草抑制効果も限られるようだ。根茎から発芽し、発芽に酸素を要しないクログワイについては、秋期に耕起し、根茎を凍らせ枯死させる防除方法も提唱されている。
参考 冬期湛水水田の雑草調査(平成16,17年 チームTARIKI)
農薬を使わない雑草対策について(田力本願の米)
参考
文献
「除草剤を使わないイネつくり」民間稲作研究所 編
1999年10月 農山漁村文化協会 発行

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[5]施肥効果
 冬期湛水水田は、冬期間も水田に水を張るため、水田が白鳥や鴨などの餌場となります(「[8]水鳥とアカガエルと環境教育の効果」参照)。水田で羽根を休める水鳥は、稲株や雑草などの根茎をついばみ、それを糞にして水田に還元しますから、そういった水田残滓物は、水鳥を介して容易に分解され易いものに変化していると思われます。
 また冬期間にも少しづつ堆積しているトロトロ層にはイトミミズにより多量の菌類が付加されていますが、これもまた水田残滓物である稲藁等の分解も推進させるようです。
 こういった水鳥やイトミミズなどの活動は、水田内の有機物そのものの絶対量を増加させるわけではありませんが、それをより稲の養分に利用されやすいものに分解し、そして醸造しているもと想像されます。
 また、トロトロ層からあふれ出るリン酸分は、田面水中に多量の細菌を培養しているようであり、こういったものには空気中から窒素を取り込むものがあります。これは施肥を行わないでも、土壌に窒素を供給できることを意味し、そして減肥料・無肥料栽培の可能性についても示唆しています。
 しかしながら、そういった窒素供給効果が稲作を行うにあたっての有効な量になりうるかは不明であり、また細菌の種類によっては土壌や田面水中の窒素を空気中へ還元させるものもあります。そのため、このような細菌による窒素供給効果が、どの程度稲作に有効であるかははっきりとはしていません。
 むしろ、若干とはいえ、冬期湛水水田の施肥効果として、より確実性が見込まれるのは、灌漑水からの施肥効果です。灌漑水にはリン酸、カリ、窒素といった稲に有効な養分が若干ながら含まれていますから、冬期湛水水田のように長期に渡り灌漑が継続されていれば、それをしないよりも灌漑水からの施肥効果を多く見込むことができるでしょう。ただしいずれにしても、若干程度の施肥量ではあります。

注7)  作物に重要な三大養分は窒素・リン酸・カリであるが、水田は「湛水する畑」であるため、その構造的特徴からリン酸を効率良く利用できる。
注8)  豆類は根茎が有する窒素固定菌により空気中の窒素を土壌に還元する機能を持つ。この機能を利用し、稲作と大豆の輪作を行うことで、減肥栽培が行われる事例もある。
注9)  窒素を固定する細菌と共生するものには豆類の他に、アカウキクサといったものもある。これを合鴨農法とセットで利用することもある。アカウキクサには外来種のものがあり、その利用には注意が必要である。
参考 肥料を使わない稲作について(田力本願の米)

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[6]農作業の効率化と水資源の効率的利用
 冬期湛水水田を2年以上継続し、そして晩秋期から水田の湛水を継続していれば、トロトロ層は田植え期までに5cm程度堆積します。これは非常に軟弱な土層であり、十分な堆積厚があれば、代掻きを行わないでも、容易に移植作業を行いことができますから、これにより農作業は省力化され、冬期湛水水田の営農効果が発揮されます。
 また代掻き作業を省略できれば、それに必要となる多量な用水も節減できるので、冬期湛水水田は地域の水資源を効率的に利用する、といった新たなる可能性も与えてくれるでしょう。

注10)  平成15年の冷害の教訓もあり、平成16年以降からは田植期の分散化(晩期栽培による)が盛んとなっている。これは、代掻き期の分散化にもつながり、これにより農業用水需要のピークが緩和され、効率の良い水利用ができたとの感想も聞かれることが多い。冬期湛水水田の代掻き省略についても、これと同様の効果が期待される。

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[7]生物の多様性と害虫の抑制
 トロトロ層の形成以外にイトミミズが有するもう一つの大きな効果として、水田表面に形成される酸化鉄膜の破壊機能があります。この酸化鉄膜は湛水により溶解する土壌中のリン酸分が水中へ湧出するのを遮断していますが、イトミミズが土壌表面で活動すれば、この酸化鉄膜は破壊され、田面水中に比較的多くのリン酸分を湧出させることになります。
 このリン酸分は、田面水中に繁殖する植物性プランクトンの重要な栄養源となり、これが増殖することで、それを餌にする動物性プランクトンが増殖します。そして、今度はこれらプランクトンを餌にするオタマジャクシや各種小魚類が増殖し、さらには、そういった小動物を餌にする大型の動物が増えるなど、冬期湛水水田を行うことにより得られる生物多様性効果には大きなものがあります。
 このようにして水田の生態系が豊かになれば、一部の害虫が極端に繁殖するのを牽制し、これもまた効率的無農薬水稲栽培への新たなる可能性を与えてくれるでしょう。

参考: 農薬を使わない害虫対策について(田力本願の米)

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[8]水鳥とアカガエルと環境教育の効果
 冬期湛水水田の生物多様性効果として象徴的なものに、水田が白鳥や鴨など冬期の水鳥の餌場になる効果があります。水鳥は餌を飲み込むために水が必要となるので、落ち穂等の餌となる水田残滓物があるだけでなく、冬期湛水水田のように水のある水田は、理想的な餌場となるようです。
 宮城県北地方の事例で述べれば、地形的条件さえ満たす限り、冬期湛水水田を行うことで、かなりの確率で水田に白鳥や鴨が飛来してきます。
 このようにして冬期の湛水は水鳥の餌場としての機能を発揮させますが、早春期の湛水もアカガエル等の繁殖場所としての機能を発揮させます。このように冬期湛水水田はイトミミズにより発揮される効果以外にも、様々な生物多様性効果を生み出します。
 こういった生物多様性効果は、単に生き物を保全することのみならず、生き物を通じながら、水田を環境教育の場に変えていく効果も有しており、これも冬期湛水水田の効果と言えるかもしれません。今後とも水田の多面的効果を維持していこうとするならば、日本人は米に対するこだわりを持ち続ける必要がありますから、そのためには水田等で行われる「食農教育」に大きな期待が寄せられるところです。

注11) 2〜3月に産卵するアカガエルは、各地の水田の乾田化が進み産卵場所が限られてきたためか、地域によって絶滅危惧種に分類されることもある。
注12) 水鳥でも雁は水の有無に関わらず水田を餌場として利用する。むしろ冬期湛水水田よりむしろ慣行水田のほうにより多くの雁を見かけることが多い。
参考: 宮城県内冬期湛水水田の白鳥(平成16年「稲と雑草と白鳥と人間と」) 冬期湛水水田にねぐらを取った雁の記録(平成18年 田守村)
冬期湛水水田のアカガエル調査(平成17年 チームTARIKI)

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[9]安心な食料を生産する効果
 冬期湛水水田は農薬を使わない稲作を前提として取り組まれることが多く、その意味で安心な食料を生産する効果には大きなものが期待されます。もっとも、農薬を使わない農産物が、それを使ったものに比較してどの程度「人に安全」であるかについては、きちんとした検証が行われるべきでしょう。
 農薬を使わない以外にも、冬期湛水水田の「安心な食料生産効果」として、稲に吸収されるカドミウムの抑制効果があります。 大抵の土壌にはカドミウムが含有されていますが、土壌が空気に触れるなどして酸化すると、カドミウムは植物に吸収されやすい状態に変化します。逆に土壌が湛水下にあり還元状態が維持されていれば、カドミウムは吸収され難い状態を維持します。このため、稲作におけるカドミウム対策には水田の水管理が重要であり、特に出穂期前後の落水時期には注意が必要です。
 このタイミングさえ誤らなければ、特段に冬期湛水を行わずともカドミウムの吸収は抑制されますが、冬期湛水水田はその土壌を長期間湛水状態に置き、そしてより還元化を促進させる有機肥料を用いる場合も多いので、この効果も発揮されやすいものと想像されます。もっとも、冬期湛水水田であっても、落水のタイミングが適切でなければ、カドミウムの吸収抑制効果が発揮されないこともありうるでしょう。

注13)  水田土壌が水没し還元化すると硫化水素が発生するが、カドミウムはこれと結びつき沈着して稲に吸収され難いものに変化する。

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[10]冬期湛水水田のマイナス効果
 以上、様々な冬期湛水水田の効果を述べてきましたが、その一方で、冬期湛水水田はマイナスの効果も併せ持っているようです。以下、それについて考えられるものを列記します。
  
  ・通常は農閑期における河川からの用水取水は許可されな
   いため、農閑期の水田に灌漑できる地域は限られる。
  ・代掻き期の用水を節減できるとはいえ、農閑期にも灌漑す
   るので、一年を通じての必要用水量は増大するであろうし
   、それにより新たな水資源の負担が生じてくる。
  ・農閑期にも水田に灌漑するため、灌漑施設の維持経費や
   労力について、新たな負担が生じてくる。
  ・農閑期に灌漑することで、隣接田に水が浸透することも
   あり、それへの対策が必要である。
  ・雑草の抑制効果が期待されるとはいえ、それは限られた
   効果のようで多くは期待できない。また、これによる収
   量への影響も無視できない。
  ・同様に生物多様性による害虫の抑制効果にしても、限ら
   れた効果である。
  ・トロトロ層はその物性から、稲の根茎を支える土壌として
   の強度が軟弱すぎ、落水のタイミングをあやまれば、倒伏
   のリスクを増大させる。

参考: 冬期湛水水田の倒伏リスク(平成16年「稲と雑草と白鳥と人間と」)
冬期湛水水田の減収リスク(平成16年「稲と雑草と白鳥と人間と」)

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[11]冬期湛水水田のマイナス効果の解決策
 以上、考えられるマイナス効果について記しましたが、これらの効果は、地域で一体的に冬期湛水水田に取り組み、それに対して何らかの政策支援を行うことで、解決できるものも多いような印象を受けます。
 例えば、冬期湛水水田により農閑期の灌漑施設の維持共用に新たな負担が生じることについては、これにより得られる各種環境効果を評価することで、その費用負担を補助金で助成するような解決策が考えられるでしょう。
 また冬期湛水により減収するマイナス効果については、これに減反奨励金(産地づくり交付金)を充て解消するといった解決方法も考えられます。そして近年における国民的環境意識の高まりは、こういった政策運用を支持するものと確信しています。
 さらに隣接田への浸透水についも、地域で冬期湛水水田実施区域を定め、それに取り組めば解決されるでしょうし、農閑期における河川からの取水についは、それの需要を満たすだけの供給量が保証され、そして秩序ある計画的水利用が図られるならば、許可官庁にしても決して理解を示さぬものではないと考えています。
 これら解決策は、いずれも「地域で一体的に」冬期湛水水田に取り組むことが前提となります。もっも私自身は、冬期湛水水田が秘める、もう一つの大きな特徴から、これらの解決策の実現は、なかなか難しいのではと考えています。これについては後で解説します。
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[12]冬期湛水水田からの温室効果ガス
 さて、今度は温暖化ガスについてです。これも冬期湛水水田のマイナス効果と考えられることがあります。とりあえず、代表的な温暖化ガスである二酸化炭素について、農作業機械から排出される量を考えてみます。
 冬期湛水水田はその効果により代掻きや耕起を省略できる場合が多いですから、それによりトラクターの運転時間が省力化され、その分、二酸化炭素の排出量を削減することができます。
 ただし、冬期湛水水田は農閑期の灌漑作業が必要となってきます。これを内燃機関のポンプで行えば、それだけ余計に二酸化炭素を排出しなければならなくなります。
 私の試算ではトラクターの運転から削減される二酸化炭素量は、その分を冬期のポンプ運転からの排出が補う結果となり、結果的に水田面積当たりの二酸化炭素排出量は、冬期湛水水田も慣行農法も、さして変わらない結果となりました。
 これを今度は、面積当たりでなく、収量比に換算すれば、1俵の米を収穫するために排出される二酸化炭素の量は、収穫量の減少する冬期湛水水田のほうが不利との結果となります。
 次ぎに水田土壌から排出される温暖化ガスについて考えてみます。施肥等により水田に投入される炭素化合物は、最終的に二酸化炭素(CO2)かメタンガス(CH4)に分解され、気化していきます。いずれも炭素を含有するガスですが、その温暖化効果はメタンガスのほうが20倍も大きく評価されています。
 冬期湛水水田は今まで述べてきたように、長期間にわたり湛水し、土壌が酸欠となる還元状態を維持させますが、これは水田に投入される炭素化合物の分解割合をメタンガスに傾けることを意味しています。そして同じ炭素量が水田に投入されるのであれば、冬期湛水水田のほうが、より温暖化に貢献することになるでしょう。
 しかし、水田から発生する温暖化ガスには、二酸化炭素やメタンガス以外にも、一酸化二窒素(N20)といったものがあります。これは二酸化炭素の200倍もの温暖化効果を持っているとされ、これについて冬期湛水水田と既存の水稲農法とで、どっちが多く発生するかは現段階では不明であり、そのため、メタンガスが多いからといって、必ずしも冬期湛水水田のほうが、より地球温暖化を促進する効果が大きいとは単純には結論づけられないようです。
 このように温暖化の評価については、なかなか判断し難いものがありますが、これ以外にも、温暖化効果の大部分を担うものには、私たちにとって最も身近なガスがあります。それを考えれば、どいうったメカニズムで地球が温暖化しているのか、それを解明するのに地球温暖化「学」はまだまだ発展途上であるようで、そのメリット・デメリットを論ずるのも早急であるとの印象を受けております。

注16) 慣行農法からの二酸化炭素排出量を算定するにあたっては、化学肥料や農薬の製造過程における排出量も考慮する必要がある。
注17) 宮城県内各地の冬期湛水水田を観察する限りにおいて、大部分の冬期湛水水田は慣行の農法に比較して2〜4割ほど収量が減少するようである。

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[13]江戸時代の冬期湛水水田
 江戸時代に会津藩で書かれた「会津農書」には、冬の水を田んぼに灌漑すれば、それに含まれる含有物が肥やしとなり良い結果が得られると、冬の灌漑を奨励した一節が記されております。現在、取り組まれる冬期湛水水田の多くは、こういった灌漑水からの施肥効果をあまり意識していませんが、江戸時代にも冬の水田に水を灌漑する考えがあったことに気が付かされます。
 また、同じ江戸時代に上野国で書かれた「開荒須知」では、冬期に水を灌漑することで、開墾したばかりの水田の土を軟らかくすることができると書かれた一節があります。もしかしたら、これはイトミミズによる土壌の分解効果を期待した方法なのかもしれません。さらに、この「開荒須知」では、土を肥沃するために、稲刈後の水田に藁や落ち葉を入れ、そして水を湛水させるとの一節も出てきます。これなどは、現在の冬期湛水水田に相通ずるものを感じさせます。
 これ以外にも山形県の庄内地方では、昔から冬期湛水水田と同じようなものが行われていたと、しばしば耳にすることがあります。ただし伝聞ですから、はっきりとしたことは不明です。

文献1 「日本農書全集第十九巻 会津農書 会津農書附録」
 農山漁村文化協会 発行
 
文献2 「日本農書全集第三巻 下総 農業要集 下総 草木撰集録 
 上野 開荒須知 常陸 菜園温古録」農山漁村文化協会 発行

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[14]湿田の乾田化が進んだ明治から昭和の時代
 冬期湛水田は非灌漑期にも水を張るため、これは「湿田への回帰である。」と言われる事があります。「湿田」とは、地形的条件から落水後も乾き難い水田のことであり、これと対になる「乾田」は落水期に容易に乾かすことのできる水田のことです。このような違いは地下水を容易に低下させることができるかどうかで異なってくるようです。
 明治以降、日本では水田の周囲に堀を巡らしたり、また地中に暗渠を設置するなどして、湿田を乾田に改良する努力が延々と行われてきました。これは農作業の効率化と、より収穫量が得られる乾土効果の発現を目的として行われましたが、新たに水田を開墾することが禁止され、そして減反政策が始まった昭和40年代以降になると、より多くの反収が得られ、そして農作業も軽減でき、さらに米以外の作物も収穫できるようにと、大々的な乾田化が行われてきました。このような状況の中で、農閑期もジメジメしている「湿田」は稀少なものとなり、それと併せて湿田に生息していた小動物も少なくなっていったようです。
 このように、農閑期にも田面に水があり、そして生物を涵養する「湿田」の機能に注目し、これと似通った特徴を持つ冬期湛水水田を「湿田」と呼ぶわけです。
 ですが、私は必ずしも冬期湛水水田は「湿田」ではないと考えています。それは、冬期湛水水田の多くは「乾田化」された水田で取り組まれているからです。そのため冬期湛水水田は長期間湛水しているとはいえ地下水は常に地下へ浸透していきます。このような浸透水は水稲の生育に重要であり、湿田はそれが浸透しないため、反収が増加しませんでした。
 また多くの冬期湛水水田は落水後も容易に地下水を低下させることができます。これは機械化作業にとっての重要条件で、地下水が下がらないため耕盤が形成されず、場合によっては胸まで泥に埋まりながら稲作しなければならない湿田とは、この点についても大きく異なっています。
 冬期湛水水田は長期間湛水させるため、その耕盤が軟弱化するとの懸念も聞かれることがあります。しかしながら、それまでの乾田化により形成されてきた耕盤はしっかりと保持され、そこで取り組まれる冬期湛水は、短いとはいえ少なくとも9月〜11月くらは水田を乾燥させます。この乾燥により耕盤を養生できるためか、今のところ長期の湛水による耕盤の軟弱化は懸念されたほどではなく、機械作業に支障をきたしたとの話は耳にしたことがありません。
 ですから、私は冬期湛水水田は「湿田への回帰」ではなく、湿田の生物多様性効果と、乾田の営農効果を併せ持った、「新しい形態の水田」であると考えています。
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[15]平成の冬期湛水水田
 以上、江戸時代の冬期湛水水田、明治以降の乾田化と湿田の関係について述べてきました。
 それでは現在取り組まれている冬期湛水水田はいつから始まったのでしょうか。いろいろ調べてみると江戸時代の冬期湛水水田とはいくつか類似点も発見できますが、現在の冬期湛水水田が「湿田への回帰」ではなく、明治以降の乾田を基本とし、そして湿田の機能も併せ持つ「新しい形態の水田」と考えれば、直接的には江戸時代の農法を受け継いだものとは考え難いようです。
 現在の冬期湛水水田の始まりははっきりとはしませんが、不耕起栽培を効率化する試行錯誤の過程で取り組まれ始めたようです。これは生産者側の動機から始まったものと言えるでしょう。
 このようにして始まった冬期湛水水田ですが、不耕起栽培を効率的に取り組める、といった効果以外にも、水田が白鳥や雁など渡り鳥の保全の場にもなるといった効果もありました。これに注目したのが渡り鳥の研究者たちです。
 冬期の水田に水を張り、そこを人工湿地にして、渡り鳥等の保全を行うという試みは、その時点で既にスペインなどでも取り組まれていたようですが、渡り鳥の研究者たちはそのような諸外国の事例と、不耕起栽培の延長として行われていた日本の冬期湛水水田との一致点を見いだしたわけです。
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[16]冬期湛水水田の「人間多様性」効果について
 さて、冬期湛水水田は、その省力型農法と付加価値生産物の可能性にかけて、「生産者」が取り組み始めました。そうしたところ、今度は冬期湛水水田の生物多様性効果に注目したNPOなどの一般市民や学術関係者も「生産者以外」の立場から「冬期湛水水田活動」に加わり始めます。
 そして、総合学習の場として、教育関係者が冬期湛水水田活動に加わるようになり、さらには、そういった市民活動に注目した役所なども参入し始め、様々な人々が「冬期湛水水田活動」に参加するようになりました。この私も、そういったうちの一人になります。
 こういった多様な人々が集まり、一緒に田んぼを考えていく、このような集団が形成されていくことが、冬期湛水水田の最大の効果ではないかと考えています。そして、こういった集団は冬期湛水水田活動のみならず、それ以外の様々な農村活動にも加わるようになっています。
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[17]農村社会の「ゲゼインシャフト」
 ちょっと耳慣れない言葉を使わせていただきます。「ゲマインシャフト」という人間集団があります。これは社会学上の分類名称ですが、この結合体は、地縁や血縁、宗教など、なんらかの同質性で結ばれ、伝統や習慣が尊ばれる特徴を持っています。農村共同体などは、この「ゲマインシャフト」に分類されるでしょう。
 この「ゲマインシャフト」と対を為すのが、「ゲゼルシャフト」で、こちらのほうは伝統や習慣よりも利益的結合により結びつけられ、目的合理的な行動が尊ばれるようです。NPOなどは、非営利の結合体ですが、ある目的意識を共有して結合していると考えれば「ゲゼルシャフト」的であると考えています。
 さて冬期湛水水田ですが、これに集まる人達は、「ゲマインシャフト」、「ゲゼルシャフト」いずれに分類されるでしょうか?
特に地縁や血縁により結びついてるわけでもないし、冬期湛水水田に関する何らかの効果(利益)を期待して結合しているわけだから、たぶん「ゲゼルシャフト」に分類されるのだと思います。ただし、NPOよりは多様な目的を持って、冬期湛水水田に集まっているような印象を受けます。
 いずれにしても、こういった冬期湛水水田で結びつけられる集団は、これと大きく異なった特徴を持つ「農村社会」という、強固な「ゲマインシャフト」に関わり始めたといった部分で、大変興味深い社会現象が生じているのだなと感じています。そして、そういった異質なものの遭遇により、多様な人達が田んぼに集まる「人間多様性」が生まれたと私は考えております。
 それでは「[11]冬期湛水水田のマイナス効果の解決策」で述べた、「冬期湛水水田を地域で一体的に取り組むことで、これのマイナス効果を解決する。」といったことについての可能性について、もう一度考えてみたいと思います。
 ここで言う地域とは、「ゲマインシャフト」である農村社会のことです。そして冬期湛水水田は、その「ゲマインシャフト」とは正反対の性質を持った「ゲゼインシャフト」的特性を持つ人間集団により推進されてきました。また「一体的」の意味ですが、これはその「ゲマインシャフト」と「ゲゼインシャフト」がイコールになるとの意味です。
 ちなみに、私自身は「美しき日本の故郷」をいままで農村が保守することができたのは、農村社会の有する「人間の同質性」による部分が大きいと考えております。その一方で、冬期湛水水田集団は「人間の多様性」といった特徴を持ち、水田や農村に様々な価値観を見いだしてきました。こういったそれぞれ異なった特徴を持った集団が、それぞれの利点である「同質性」や「多様性」を失わずに、冬期湛水水田を通じながら一つになっていくことができるのかどうか、今後の研究課題にしていきたいと考えております。
 ちなみに、この問いのヒントとなるものに、農村集落の「生産法人化」といった試みがあります。これは農政改革として今まさに全国の農村で取り組まれている挑戦でありますが、これもまた「ゲマインシャフト」である農村社会が、「ゲマインシャフト」のままでいられるのかどうか、これに関する様々な課題を農村社会に問いかけているように感じます。
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 以上、私の長い駄文におつきあいいただきまして、大変ありがとうごさいました。
 今回の「冬期湛水水田とは何か?」は、平成15年から3年間取り組み始めました「稲と雑草と白鳥と人間と」の中間報告といった位置づけで記しております。
 この3年間で冬期湛水水田に対する視点がどのように変化してきたのか、参考として平成15年バージョンの「冬期湛水水田とは何か?」を下記に掲載しますので、それぞれに比較いただけたらと思います。

[参考]冬期湛水水田とは何か?(平成15年6月 記述)
 近年,都市住民から農村地域に求められる、心のやすらぎ・うるおいなど環境に対する意識が大きくなってきています。中でも生態系に対する環境保全の取り組みが各地で実践されるようになりました。慣行農法では、稲株やワラが土中に鋤き込まれることで、微生物の活動による分解からメタンガスが発生し、水田生物の生態系や地球温暖化に影響を与えると言われています。
 こうしたことをふまえ、多様な生き物たちの冬場の生活を確保する試みとして,水田を休ませる冬期に水田に水を張って湛水し、田植え時に不耕起農法に取り組んでいる水田での田植えが行われ始めています。こうした取り組みによる効果として、
  • 冬場の水鳥の格好の餌場と寝床になる
  • 渡来する渡り鳥が1箇所の湖沼へ集中しなくなることで,鳥の伝染病が防止される
  • 落ち穂や雑草の種子を鳥が食べてくれることでの除草効果が高まる
  • サヤミドロやランソウ等の藻類が増えることで,遮光作用による抑草効果が働く
といったような効果があると言われており、また、耕起・代かき作業がなくなることで作業時間が縮減となる。
 しかし、収量への不安や耕盤の軟弱化による作業の非効率なども考えられ、冬期湛水・不耕起農法が大幅に普及していない状況にあります。
 今後の農業は、自然を守ることも重要であり、環境と共生できる農業が普及するよう、こういった取り組みがさらに広がっていくものと思われますし、広がってほしいものです
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