色麻町の冬期湛水水田 |
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記録:平成15年6月12日 | ||||||||||||
掲載:平成15年7月12日 | ||||||||||||
冬期湛水水田に集まる人間 高奥 | ||||||||||||
色麻町・・・宮城県でも、仙台市のより北に車で40分ほど行った場所にある。 色麻、読み方は「しかま」であり、「しきま」ではない。変わった地名であるが、もともとは「四釜」と読んでいたらしい。 宮城県には「塩竃」市という場所がある。古来、この塩竃の地で海水を釜で茹で、塩を製塩した。「塩竃」の名前は、これに由来する。聞くところによると「四釜」の「釜」もまた、塩竃の「竈」に通じるらしい。海水を釜で湯で製塩するためには大量の薪が必要となる。古代、この薪を「四釜」地方に求めた。これが関係し、「四釜」と名付けられたということである。ただし、全てが耳学問で得た知識であるので、真意のほどは保証の限りではない。 前置きが長くなったが、この色麻町というところに、浦山さんという方がいる。彼もまた、冬期湛水水田の実践者である。
この浦山さんは、普通の農家とは異なる経緯で農業を営んでいる。浦山さんは元々は教師であったが、40代にして思うところあり、教師を辞め農家になった。なぜ農家になったかは私の知るところではない。ただ思い切った決断であろうことは十分に想像できる。 さて、浦山さんが冬期湛水水田に至った経緯である。浦山さんは、教師を辞め、農業を営む人となった。いわば新規就農であるから、普通であれば近隣の農家にいろいろ相談しながら農業を学んでいく。私が浦山さんをすごいと思うのは、そういう経緯を経ず、独学で農業技術を学び取り、今日まで農業を続けていることである。そして思考錯誤を繰り返しながら冬期湛水水田に至った。浦山さん曰く、冬期湛水水田のシンプルさが気に入ったのだという。 6月12日、私と菅原さんは、浦山さんが経営するレストランを訪れた。宮城も梅雨を迎えた、小雨混じりの夕方である。初めに訪れたのは、浦山さんの冬期間湛水水田である。 水田を訪れると、分ケツが進み、稲株が増え深緑色に覆われた水田地帯の中で、浦山さんの冬期湛水水田だけがポツポツと苗をなびかせ禿かかった頭髪のようにとり残されている。 菅原さんはおもむろに、その冬期湛水水田から一本の苗を引き抜き私に解説してくれた。「どうだ、この根の張りは、これが冬期湛水水田で育つ稲だ。慣行水田の稲は分ケツが進んでいるがここまで根は張らない。過保護に育った子供が軟弱であるように、慣
この根の張りが、今後どのように稲の生育にかかわってくるかは、未熟な私にとって判断する材料がなかった。ただ根が貧弱な稲より、しっかりした稲のほうが後々にいい結果を生むだろうことはなんとなく想像できた。 浦山さんの水田を後にした後、私達二人は浦山さんの経営するレストランに向かった。浦山さんのレストランはロッジ風のモダンな作りであり、定期的にジャズコンサートを催しているという。さす
ちなみに菅原さんが浦山さんと知り合うキッカケになったのは、前項の「ホタルイ君」で紹介した遠藤氏のツテである。 私達は浦山氏の経営するレストラン「Rice Field」で
それにしてもスリルを感じるのは菅原さんの言葉である。「夫婦仲はどうなのしゃ!」、などとおもむろに浦山夫妻に質問を投げかける。正直私はドキマギするのだが、浦山さんは「そりゃ〜、いろいろありますよ。」などと、なにげにない顔で応える。私の感じる限りでは、この夫婦はうまくっている。うまくいっているからこそ、冬期湛水水田にしろ、レストランにしろ、新しい試みに挑戦できているのであろう。また、こういった質問を菅原さんが素直に投げかけることができるのは菅原さんが自主独立の人だからであり、そしてこういう質問にドキマギする私は、すっかり公務員という組織人になりきっている証拠でもある。
話しは冬期湛水水田からツバメの話しにおよんだ。冬期湛水水田を始めてから、どういうわけか浦山さんの周辺にツバメが現れるようになったという。そして、ついには「Rice Field」の軒下にツバメが巣を作っているとのことだ。そういえば、菅原さ
ツバメと冬期湛水水田がどういった因果関係になっているかは、私の想像の及ぶ範囲ではない。ただ、ツバメは縁起の良い鳥とされている。今後、このツバメにあやかりながら、冬期湛水水田に生育する稲の、順調な生育を期待していきたい。 |
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