別役村の歴史2

*         香我美町別役

*         物部村別役

*         安芸市別役

*         東洋町野根 別役

    

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

n         「日本地名大辞典」 39 高知県 角川書店  pp.882-885

─────────────────────────────────────────────────────

l         べっちゃく 別役   <香美郡香我美町別役>
香宗川の最上流域の山間部に位置する。地内記念坂から東西に連なる山岳が分水嶺となり、南麓は香宗川の源で
西南に流れ、北麓は北谷川が北西に流れて奈良川に流入する。
[中世]別役名  室町期に見える名(ミョウ)の名。


[近世]別役村  江戸期の村名。香美郡大忍(オオサト)庄のうち。

[近代]別役 明治29年〜現代の大字名。
はじめ東川村、昭和30年から香我美村の大字名。もとは東川村の一部で江戸期の別役村。
 

l         別役 べっちゃく   <香美郡物部村>
物部川の最上流(槇山川)流域の山間部に位置する。香我美町別役に対して奥別役とも称する。
[中世]別役 鎌倉期から見える地名。香美郡のうち。

[近世]別役村 江戸期〜明治22年の村名。

[近代]別役 明治22年〜現在の大字名。
はじめ槇山村、昭和31年から物部村の大字。明治24年の戸数39・人口(男128・女103)。
大正3年別役小学校が市宇から移転。昭和29年岡ノ内中学校別役分校設置。同36年別役中学校として独立。
53年別役小学校・別役中学校は大栃小学校・大栃中学校に統合される。

l         別役 べっちゃく   <安芸市>
伊尾木川の最上流域の山間に位置し、北は徳島県に接する。
[中世]別役名 織豊期に見える名(ミョウ)の名。安芸郡のうち。

[近世]別役村 江戸期〜明治22年の村名。安芸郡のうち。土佐藩領。

[近代]別役 明治22年〜現在の大字名。
はじめ東川村、昭和29年から安芸市の大字。昭和29年から安芸市の大字。
明治24年の戸数37・人口178(男93・女85)。大正9年の世帯数65・人口212(東川村政概要/安芸市史資料編)。
宝蔵山に銅鉱が開発され明治37年の鉱区9,900坪、従業員10人(県統計書)。
大正4年国有林の森林軌道が伊尾木川河口まで開通し森林資源の搬出、日常生活必需品の輸送が便利になった。
昭和37年森林軌道廃止、同40年林道に転換された。市の中心部との交通が便利になるとともに人口流出が始まり
過疎化が進み、明治33年に開設の小学校も昭和55年廃校となった。

l         別役村 べっちゃくむら   <安芸郡東洋町>
[近世]江戸期の村名。安芸郡のうち。別役川流域に位置し、東は太平洋に面する。
河川流域の谷間に開かれた新田村。野根村の小村白浜村の明神の知行所として開発され、開発者は白浜村を開発した
明神忠右衛門の次男伊信彦右衛門という。
名本は置かれず、組頭が明神家の差配人を兼ねていたといわれる。
村高は、寛保3年の郷村帳では「別枝(別役)村新田」と見え180石。明和3年の郷村帳では野根2,707石余のうち。
「土佐郷郡志」によれば、野根村の小村「別役谷」として見え、戸数20戸。寛保3年の郷村帳では戸数23・人数99
猟銃1、牛5・馬9。安政2年の野根村庄屋の書上によれば,地高180石、家数24・人数99(安岡家文書)。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                                                                                                                         別役関係リンク