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項番毎に月単位で1年かけて取材予定です。 | ||||||
花輪と桑橋 「八千代自然と環境を考える会/湧き水調査の会」の皆さんが調査作製した「八千代市湧き水マップ」より新川の風景を紹介するには、花輪と桑橋の湧き水はあまりにも新川に遠く絵にならないだろうと最初から除外してしまったが、取材を重ねているうち、一度は行ってみたい気持ちに駆られた。
湧き水が花輪川をつくり、その花輪川が桑納川と合流し、新川に注ぎ込んでいることから合流口の富士美橋を新川風景として紹介することとしたい(中上写真)。 新川と桑納川の合流点の富士美橋から桑納川を上ると花輪川との合流点につく。合流点にはNPO法人オイコスの看板(印旛沼連携プログラム加盟団体)が立っているので直ぐ分かる(中央の写真)。 桑納川に別れて花輪川を上る。川底には水草などが生い茂っていた。土橋の上流にはNPO法人の倉庫や水の学校にふさわしい土手などがあった。しばらくすると花輪橋に着く。さらに進み東葉高速鉄道の車庫が見えてくる。丁度、直角に曲がる2箇所目から後ろを振り向いて撮影した花輪川の写真が中央下の写真で、写真奥の林の向こうに花輪橋と花輪川が位置する。 直角に曲がると東葉高速鉄道車庫の高いコンクリートと対面の高台に挟まれた花輪川と並列の細い道路を進む。高台から花輪川に落ちる湧き水の音が時々聞こえてくる。 ひんやりとした道路を進むと川は突然地下に入ってしまう。ここから道路は登りになるが、進んで周りを観察するも花輪川の出口が分からない。明治ゴルフ練習場の裏手あたりが出口なのだろうか。ともかく新川風景の写真を撮ったので本日の取材はここで打ち切った。(10月1日) |
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「湧き水マップ」から先ず桑橋に行こうと睦橋より桑納川を下り桑橋にたどりついたところであたりを見渡した。あまりにも湧き水「桑納」に近すぎると再びマップを見たところ桑橋は橋名ではなく地名であることが判った。再び睦橋に戻り桑納川の右手の民家のある一般道路で農作業中の婦人に尋ねたが、湧き水や弁天島は知らない。ただ弁天様なら、この先の急斜面になる道路の右側近くにあるという。弁天様をたずね歩き、たどり着いたのが、さきほど尋ねた農作業の婦人の場所から数十メートル先の藪の中である。 湧き水が流れ出ている堀は左下の写真で、ここから入れば池に出れるらしいが、あいにくズック靴の自分にはぬかるみがひどく進めなかった。この堀の手前の整備中の空き地(駐車場か?)から入れるだろうという教えに従い、ぐるっと空き地を通り、獣道もない斜面を降りることにした。足にからむつるを懸命に取り除き、さらに進もうとした目の先に小さな神社があるではないか。その背面には池のようなものが・・・。弁天様だとシャッターを押したのが中央上の写真で、その背面に半分崩れかかった池が中央の写真。よく見ると自分の立っているところは小高く、たしかに池の中の島である。なるほど、これが弁天島かと関心しながら、新川風景をどう撮影するかの課題に頭が切り替わった。 結局桑納橋まで桑納川を下り、桑納橋から八千代橋の風景を紹介することにした(左上写真)。(11月3日) |
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取材を終えて | ||||||
また、宮内や宝喜作などは「湧き水マップ」の写真の場所かは特定出来なかったが、湧き水の場所を大切に保存しているように見えた。うれしいことである。農地の整理や、住宅地への変更や湧き水に直接頼らない生活が可能となったことから大切さが薄れ、湧き水の場所も分からなくなって行く事でしょうが、水の大切さや集落の出来る場所、そして開拓されてきた歴史と今後の開拓方向などが面白く想像できる貴重な資料であった。最後に1〜11の項目としては扱われていないが保品にも小さな湧き水の箇所が示されていたので、それに最も近く、真新しい「新阿宗橋」が水面に写っている新川(右上写真)を紹介し今年のテーマ:湧き水と新川を終える。来年は新阿宗橋(右上写真)と一緒写した「水門」をテーマに新川風景を追って見たい。(12月1日)。 |