13. 傍観者

鈍色の雲が米花の空を重く圧しつけていた。
祭りのような喧騒の中を一台の馬車が駆け抜ける。その馬車の車窓から久々に見る街の様子を、園子は複雑な思いで見つめていた。

馬車は人の群れを避けるように国立歌劇場の裏手で停まる。事前の連絡通り、歌劇場の裏口に待ち人の姿があった。

「らーん!」
大きく手を振りながら駆け寄る親友を、蘭は満面の笑みで迎える。
「人が多くて、驚いたでしょ?」
「ホント……」
言って園子は微笑む。そして、少しの間、言葉を探すようにしてから、どこか寂しそうに呟いた。
「しばらく来ない内に、こんなに雰囲気が変わってるなんて……」

園子と蘭がこうして街中で会うのは、実に四ヶ月ぶりのことで、季節は早春から夏へと移り変わっていた。
蘭と共に郊外の森でごろつきたちに襲われて以来、園子は父の史郎から家族を同伴しない外出を禁止されていたために、蘭が鈴木家を訪れるという形でしか、二人が会うことは許されていなかったのである。

蘭から国民議会の見学を誘われた時も、園子は断ることになるだろうと思っていた。だが、父の返答は意外にも許すというものであった。いくつかの条件を言って深い息を吐いた後、史郎は目を細め、あらぬ方を見据え呟いた。
「議会には私も参加することになっている。この国の行く末の一端をこの機会に見届けることは、園子にとっても必要なことなのかもしれない……」

「ところで、見慣れないけど、蘭、そちらの方は?」
「そっか! 今まで顔を合わせたことが無かったのよね。こちらは、新一の護衛役の京極真さん」
「京極です」
京極は軽く一礼する。園子は一目で無愛想ながらも自分の護衛係とは違う誠実さを感じていた。

「彼女は鈴木家のご令嬢の園子さん。一応、私の親友なの」
「一応ってどういう意味? 私は蘭のことを唯一無二の大切な親友だと思ってるのに!」
園子は問い質すように蘭を見つめ、くすりと笑う。そして、京極の方に向き直り、一礼して微笑む。
「挨拶が遅くなりましたが、鈴木園子です」

前回、新一が用意した時と同じ桟敷席に、蘭は園子と彼女の二人の護衛を案内する。小さな個室には誰もいなかった。園子の護衛一人を部屋に残し、京極ともう一人の護衛は部屋の外に待機する。

「そう言えば、新一君は? 彼も今日、ここに来ているんでしょう?」
園子の問い掛けに、蘭はどこか寂しそうに微笑む。
「うん……、打ち合わせとか、色々と忙しいみたいで。会議が始まるまでにはここに来るはずなんだけど……」
言って、蘭は観客席へと視線を移した。

園子と新一が会ったのはあの襲撃時の一度のみだったが、蘭から何かにつけて新一のことは聞かされていたので、疎遠には思えずにいた。
蘭が家を出て、新一と共に教会で暮らし始め、そこでどのような人たちと、どのように過ごしているのか聞いていたし、街の様子が語られる時にも、絶えず新一の話題が上った。蘭の言葉の端々から、日に日に強くなる新一への想いを感じ、その度に蘭の言う、新一の真っ直ぐで澄み切ったあの目を思い返し、同時に、蘭の胸の内を思わずにいられなかった。

「……あなた今、幸せ?」
園子の質問の意図がわからなかったのか、蘭はきょとんと目を見開く。ややあって、少し複雑そうな表情を浮かべてから、軽く笑った。
「幸せかどうかは、正直わからない。お父さんとも離れて暮らしてるし、それ以外にも心配が無いわけではないから……。でも、とても大切な時間を過ごしてるとは思う」
そう答えて、ふわりと微笑んだ蘭の瞳には、一転の曇りも無かった。
「そう。良かった」
言って、園子は微笑み返した。

劇場内に鐘の音が鳴り響く。それは、間もなく、議会が始まることを知らせるものだった。
鐘の音が鳴り終わるのと同時に扉が開いた。

「新一!」
「どうにか間に合ったようだな……」

園子は慌てるように席を立ち、頭を下げる。
「あの……、その、改めまして、鈴木園子です。その節はどうもありがとうございました……」
「ああ。ええと、俺は工藤新一。そうか、もっと気位が高いのかと思ってたんだけどなぁ」
不意な新一の言葉に、園子は思わず顔を上げ、首を傾げる。
「礼ならいいよ。蘭から聞いてるから」
新一はそれ以上の言葉を制するかのように片手を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。

(こんな風に笑う人なんだ)
不意にそんな思いが脳裏を過ぎり、園子は思わず自嘲した。

「ねえ、一つ聞いてもいい?」
蘭の隣に当たり前のように座った新一に、園子は尋ねる。
「この桟敷席はどうやって確保したの?」
「ああ、そのことか……。まあ、色々とコネを使ったからな。まあ鈴木家でもこれくらいの席の確保は出来るだろ?」
「うちはきっと無理ね。この劇場が作られる時に、お父様が資金提供を断ったそうだから。あ、そっか。もしかして、ここのスポンサーだったとか?」
「スポンサー、ではないかな……」
「じゃあ……」
新一は苦笑して、それ以上は何も言わなかった。

間もなくして、場内に開会の木槌を打つ音が響き渡る。静寂の中、数人の官吏らと共に舞台上に国王が姿を現す。場内の至る所でざわめき始めた。

「今日は王妃様はいらしてないようね?」
訊ねたのは蘭だった。
「この間も顔色は良くはなかったからな……」
「先週、久しぶりに姿を現したのよね? 私も見たかったなぁ」
「園子も王妃様にお会いしたことがあるの?」
「ええ。少し離れたところから、お見かけしたくらいでしかないけどね」
園子は懐かしむように、視線を舞台上へと向けた。

「もう二年も前のことだけど。貴族にはデビュタントといって、正式に社交界デビューするための成人式みたいな儀式があってね。その年に十五歳になった貴族の子息や令嬢が王宮で舞踏会をするんだけど、その時に一度だけお見かけしたの。とても華やかで可愛らしくて、それでいて、凛としたところもあって……。その時以来、私の憧れの女性なの」
「そうだったんだ……」
呟くように言って、蘭は小さくため息を漏らした。
(こんな身近にもお母さんとの繋がりがあったなんて……)

「そう言えば、新一君も私と同じ歳だって蘭から聞いてるけど、そうなの?」
「らしいな」
「だとしたら、あのデビュタントの時、同じフロアにいたのかもしれないわね。あなたも参加したんでしょ?」
「まあ、一応は」
「そういうことだったんだ……。何だか不思議ね。こういう形でまた会うことになるなんて……」

「蘭?」
怪訝そうな新一の声に、蘭は我に返った。いつの間にか、思考の中に深く入り込んでしまったらしい。心配そうに覗き込んでくる新一に、蘭はうん、と小さく頷いて、ふわりと微笑む。その笑顔に安心し、新一も蘭に微笑を返した。

「何だか私、邪魔者のようね?」
言って、園子は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
新一は苦笑し、蘭は慌てて右手を振った。

「そんなこと、あるわけ無いじゃない! もう、園子ったら、変な言い方しないでよね?」
頬は紅く染め否定する蘭に、園子はくすりと笑った。

「始まったようだな」
いち早く冷静さを取り戻していた新一の言葉に、蘭と園子は我に返り、視線を眼下へと向けた。

議会は前回以上に紛糾した。
元々の議員である上級僧侶や元老院等と、今回、初めて議員としての参加を許された各地の代表者とは、互いの主張をぶつけ合うだけで、一向に聞く耳を持とうとはしない。常に罵声が飛び交い、議会と呼ぶにはほど遠い状況だった。

「こんな状態で、何かを新しく決めたり出来るものなの?」
心底呆れたように言ったのは園子だった。
「きっかけにはなるな」
「きっかけって?」
と蘭が首を傾げる。
「少なくともこの議会で決められたことは、必ず実行されることになっている。今まで反論する術を持たなかった大多数の国民が、この議会を通しさえすれば、正当な意見者となり得ると知った以上、当然、黙っているはずが無い。不条理ながらもかろうじて保たれていたバランスが、崩れるのは時間の問題だろう……」
そこまで言って新一は、いつにも増して表情を引き締めた。

騒然とした議会も予定の時間の終盤を迎える頃には、どうにか話し合いの様相を見せ始めた。次回以降の日程が決まり、最後の議会で全国民に向けての声明を出すというところまで話が進む。ただし、肝心の議題の方向性は未だ決められずにいた。

「私も発言しても宜しいだろうか?」
と喧騒の中、一人の男が手を挙げる。場内の視線が一斉にその男に集中した。

「確か、あの人……」
「ああ」
蘭の問いに、新一は小さく頷く。かつて山口にデモへの参加を呼びかけた、あの男だった。

「話し合いでは時間を割くだけで埒が明かないようですし、双方の要望を次回までに文章で提出し、まずは意見を取り纏めると言う形にしてはいかがだろうか?」
男の発言に場内がざわつくが、反対を唱えるものが表れる気配はない。議長は男の意見を採用すると宣言した。

なるほどな、と新一は呟き、薄く笑む。
「園子って呼び方でいいよな?」
「え、ええ……」
不意に名前を呼ばれ、園子は瞬く。

「次回以降も見学に来るつもりか?」
「ええ、お父様が許しさえすれば……」
「ならこの席を利用するといい。ここなら誰にも邪魔されずに蘭と会うことが出来るだろ?」
「新一は? 新一は来ないの?」
蘭の問い掛けに、新一は向き直る。

「次回以降も似たようなものだろうから、蘭や山口さんから聞けば、事足りるだろう。それに、陛下はこの議会で特に発言するつもりは無いようだし」
あ!と思わず蘭は声を挙げた。確かにこの日、国王は一言も言葉を発してはいなかった。

「なーに、送り迎えは俺がちゃんとするし、必要なら、京極を護衛に付けるから、心配するな」
でも、と言いかけて、蘭は口を噤む。新一の柔らかい微笑みに、次の言葉が思い浮かばなかった。

「それじゃあ、来週ね」
と手を振り、園子は馬車に乗り込んだ。歌劇場の裏口から馬車が見えなくなるまで、新一と蘭はそのまま見守っていた。

馬車の姿が完全に見えなくなったのと同時に、新一が怪訝そうな顔になった。
「お前がわざわざ来るとは、急用か?」
その問いが誰に向けられたものかわからず、蘭は困惑の表情を浮かべた。

「急用と申しますか……」
質問の答えは、新一と蘭の背後から聞こえた。声の主は志保だった。

新一と蘭が向き直ると志保は一礼し、新一に小さなメモを手渡す。メモには、
『国立大学近くのカフェにて待つ』
とだけ書かれていた。

「このメモはいつ?」
「一時間ほど前に。教会まで直接来て、手渡されました……」
「そっか……。で、その時、何か言われたか?」
「蘭さんと一緒に来てもらえるとありがたいと」
「え?」
新一は蘭の顔を覗き込むようにして、やんわりと微笑う。

「悪いがちょっとこれから俺に付き合ってくれるか?」
「え、あ、うん……」
なぜ、という思いのまま蘭は頷いた。

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