5. 運命に導かれし者

窓辺で戯れる小鳥たちに姿に、園子は思わず目を奪われる。かつて、蘭と何度か訪れたお気に入りのあの湖のほとりを思い出していた。

「それにしても、蘭があの男と付き合うことになろうとはねぇ……」
「何度も言うようだけど、別に付き合ってるとか、そんなんじゃないから!」
「そうは言っても、今までの蘭の話じゃ、あなたたち、付き合ってるとしか言えないわよ?」
「でも、本当にそういう関係じゃないし……」

蘭と園子が襲われたあの日以来、園子には単独での外出禁止令が出されていた。そのため、蘭が休みの日に園子の住む城に訪ねてくるしか、今の二人には会う手段が無かったのである。

「ところで、新一君って言ったっけ? 彼、どこのお屋敷に住んでいる人なの?」
「それが……」
「蘭、まさか、そんな基本的なことも聞いてないの?」
「う、うん……。でも、とても歴史のある貴族の一人息子だとは聞いてる。ただ、今はお城から追い出されてるとかで……」
「はぁ? 貴族の一人息子が家出中ですって? 何それ!? 素行が悪くって勘当されたとか?」
「ううん、そうでも無いらしいの。何でも、新一のご両親は結構変わった人らしくってね、今までにも色々とあったみたい。今回のことも、新一のご両親と、新一のお父様の親友で、今新一がお世話になってるお屋敷の博士が画策したらしいって、新一は言ってたけど」
「ふーん。貴族階級の人間だとは思ったけど、どうも異質な感じがしたのよね。ねえ、本当に彼のこと信用しても大丈夫なの?」
「確かにちょっと皮肉っぽく話す時もあるけど、普段はとても優しい人よ。それに、聡明でもあるし。私の知らないことを色々と本当によく知ってるの。園子も、もう一度きちんと話をしてみれば、新一の良さがわかると思うんだけど」
「まあまあ、すっかり虜になっちゃって!」
「だから、そんなんじゃないんだって……」

クルクルと表情を変える蘭に、園子は目を奪われていた。
年齢の割に苦労を重ねてきたせいか、どこか感情を押し殺すようなところが元々あるのだが、今日の蘭は思いのままの表情を浮かべている。本人に自覚はないようだが、間違いなく蘭は新一に恋をしている。そんな蘭のことを心から羨ましく思い、と同時に、どこか嫉妬もしていた。それは、蘭に対してというよりは、蘭の新たな魅力を引き出した新一に対しての方が強かったのかもしれない。

ノック音が部屋に響き、遠慮がちにドアが開かれた。
「失礼します。園子お嬢さま、間もなく家庭教師の先生がお見えになりますが?」
「もうそんな時間なの? わかったわ」

蘭が園子の部屋を訪れてから一時間と経っていないのだが、この僅かな時間こそが、今の二人が共に過ごすことができる唯一のものだった。共に過ごす時間は減っても、お互いを思う気持ちに変わりはないのだが、時代の流れは少しずつ二人の関係にも影響を及ぼし始めていた。

「ねえ、蘭。もしかして、これから新一君と会ったりするわけ?」
「う、うん、まあ……」
「それじゃあ、彼に伝言を頼んでも良いかしら?」
「園子が新一に?」
「ええ。一つはこの間は助けてもらってありがとう、と。今さらだとは思うけど、やっぱりお礼だけは言っておきたいから。本当なら、直接会って言うべきなんでしょうけど、こんな状況だから……」
「わかったわ、必ず伝えるね。それで、もう一つは?」
「うん。えーと、前に私とどこかで会ったことが無いかって聞いて貰える?」
「え?」
「この間から、どうも引っかかってるのよね。たぶん、会っていたとしても、だいぶ前のことだとは思うし、前に会っていたからといって、何がどうなるってわけでもないんだけど、どうも気になっちゃって……」
「そっか……」
「あれから、私も自分なりに少しは考えてみたの。前に新一君が言っていたことをね」
「ん?」
「この国の未来についてよ。あのね、今回の外出禁止令って、お父様からのものだったの。何事に対しても寛容なお父様が街に行くことさえも許さないなんて、もしかしたら、お父様も何かこの国の中の不穏な動きを感じているのかもしれない。時代が本当に変わろうとしているのかもって……」
「園子の周りでもそうなんだ。最近、街の様子も変わってきてるの」
「革命なんてどこか遠い世界の話だと思っていたけど……。この先、私たち、どうなるのかしら?」

雲の隙間から覗く太陽の日差しはいつの間にか斜陽となりつつあった。
蘭は足早に米花の北側、街外れにあるカレッジ内の図書館へと向かう。時間がはっきりと決められない時には、決まってこの図書館を新一との待ち合わせ場所にしていた。

図書館の中はいつも薄暗く、ひんやりとしている。人の姿も疎らで、静寂に包まれた図書館の一番奥へと蘭は向かった。新一の姿はこの日もそこにあった。
周囲に誰もいないことを確認して、蘭はそっと新一の側へと歩み寄った。

「今日は何の本?」
「社会心理学。この手の本はうちの書庫には少なかったからさ」
そう答えるのと同時に新一は本を閉じ、そのまま元あった場所へと戻した。

「それじゃあ、行こうか?」
「うん」

二人は暮れなずむ街の中心部へと向かう。 道沿いのカフェでは、いつものように論客たちの演説が響き渡っていた。

「今日はね、園子のところに行ってきたの。園子がね、新一にこの間は助けてもらってありがとうと伝えて欲しいって。本当は自分でお礼が言いたいのだけど、今、園子はお城から出られない状況だから」
「それは、史郎氏の命令で?」
「ええ」
「やはりそうか……」
「え!?」
「最近、鈴木家は以前のようにあまり表立った動きをしていないからさ。いざ、動乱となったら、早い段階で狙われると予想してのことだろうけど」
「それって、園子たちが襲われるっていうこと?」
「いや、襲われると言うよりは利用されると言ったほうが正しいかな。それも、急進派からだけでなく、保守派からも、その潤沢な資金を目当てに」
「それで、園子に外出禁止令が……」
「ああ」
「それと、もう一つ、園子からの伝言があるんだけど……」
「伝言?」
「うん。あのね、もしかしたら前に園子とどこかで会ったことはないかって?」
「俺はまるで覚えてないけどな……。まあ、可能性があるとしたら、どこかの舞踏会とかでだろうな。俺も遊学する前には、何度か無理矢理に引っ張り出させられたし。鈴木家としてもいくら貴族の権利を放棄しているとは言え、舞踏会への参加は絶対的なものだから」
「舞踏会なんて華やかな舞台、私には想像もできない世界ね」
「知る必要の無い世界だよ。華やかそうに見えて、実際は互いの品定めが目的のようなつまらないものさ」
「そう、なの?」

ここで不意に二人の足が止まった。二人の目に前に異様な格好をした少年が現れたのだ。
七、八歳くらいだろうか。背中には大きな鍋を背負い、その両手には錆びだらけのナイフと、身の丈ほどの枯れ木が握られていた。

「おい、ボウズ。そいつは何の真似だ?」
「今から、姉ちゃんを助けに行くんだ!」
「助けに行くって、どこに?」
「大渡間の監獄だよ。その前に、川向こうにある教会に行くんだけど」
「ちょっと待て。監獄ってことは、お前の姉ちゃんは何か悪いことでもしたのか?」
「ううん、姉ちゃんは何も悪いことなんてしてないよ。ただ、野良犬がどこかの貴族の馬車の前を横切ったからってだけで、たまたま近くにいた姉ちゃんが捕まったんだ」
「そんな理不尽な話があるなんて……」
少年の頬を優しくなでると、蘭は視線を合わせるように少年の前にしゃがみ込んだ。この時、少年の目からは大粒の涙が零れはじめていた。

「大渡間の領主の無能ぶりは噂には聞いていたが、まさか、そこまで酷いことになっているとは……。で、その教会っていうのは?」
「村の人たちが今日そこに集まってるって聞いたから。他にも姉ちゃんみたいな人たちが沢山いるから、みんなで監獄を襲うんだって。だから、オレも急いで行かなくっちゃ!!」
「無茶苦茶な話だな。……なあ、ボウズ。俺もその教会に行っても良いか? お前の姉ちゃんを助けるのを手伝ってやるからさ!」
「ホント? 本当にお兄ちゃんが手伝ってくれるの?」
「ああ」
「ちょ、ちょっと、新一、どういうこと? 新一もその監獄を襲うってこと?」
「場合によってはな。まずは、その教会に行ってみてからの話だけど」
「それなら、私もその教会に連れて行って? 私だってこんな小さな子のこんな姿を見過ごすわけにはいかないから」
「いや、蘭はこのまま帰ったほうが良い。襲撃の結果によっては、そのまま動乱になだれ込むことになるかも知れない。そうなったらもう、引くには引けなくなるから。一時の感情だけで判断しちゃダメだ。蘭には両親がいるだろ?」
「それは、新一だって同じことでしょ? 前にも行ったはずよ、私にも何かできることがあるかもしれないって。それに、このまま帰ったほうが、後悔することになるような気がするの」
蘭のあまりに真剣な表情に、新一はそれ以上の言葉を続けることは出来なかった。

「蘭ってさ、俺の思っていた以上に頑固な女なのかもな」
「そうかもね」
蘭の表情には何の迷いもなかった。

「おい、ボウズ。お前の名前は?」
「大地」
「大地か。俺は新一。で、彼女は……」
「蘭よ。よろしくね、大地君」
「うん」

提無図川を渡ってしばらく進んだところに、大地の言う教会はあった。その教会は他のそれと同じように、病院や図書館などが併設されていて、比較的大きな建物だった。
三人は礼拝堂へと向かった。

「山口のおじさん、いる? 大地だよ!」
「おお、大地。お前、本当に来たんだな? って、そこの二人は?」
「新一お兄ちゃんと、蘭お姉ちゃん。二人とも、姉ちゃんを助けるのを手伝ってくれるって!」

一瞬にしてその場の空気が重苦しいものへと変わった。その場にいた三十人ほどの男たちの誰もが、突然現れた見ず知らずの新一と蘭のことを警戒したのだ。

「お前ら一体、何のつもりだ?」
おそらく、彼らのリーダー格の人物なのだろう。大地に山口と呼ばれていた無骨な男が、どす声で二人に尋ねる。その場にいた誰もが、新一と蘭にその視線を向けていた。

「年端も行かぬ子供がこんな姿で目の前に現れたっていうのに、それを見過ごす方がおかしいってものでしょう? 事情を聞いてみれば、尚更のこと。僕も大渡間の領主のことは前々から疎ましく思っていたし、何か手伝えることがあるのではと思いましてね」
「お前ら、俺たちがこれから何をしようとしているのかは、ちゃんと理解しているんだよな?」
「ええ、そのつもりですけど?」
「どうも胡散臭いなぁ。これから国相手に大罪を犯そうっていうに、進んで手を貸したがるようなおかしな人間がいるとは、俺にはどうも信じられないんだけどなぁ?」

男たちは互いに顔を見合わせ、一様に頷き合った。

「そう言われると思いましたよ。では、これでどうでしょう? 僕はあなたたちと一緒に大渡間監獄の襲撃に向かいます。その間、彼女にはここに残ってもらいます。言わば人質としてです。僕がもし何らかのおかしな行動を取ったら、その時にはどうぞ、彼女を手にかけて下さい」
「もしかして、新一、最初からそのつもりだったの?」
気まずそうな表情を浮かべるだけで、蘭の問い掛けに新一が答えることはなかった。

「自分の彼女を人質とは若いのに面白いことを考えたな、ボウズ?」
「ここは礼拝堂です、嘘はつきません。それでも僕たちを信用してはもらえませんか?」
「……よしわかった。新一とかって言ったよな? 人手は一人でも多い方がいいし、お前を俺たちの仲間に加えてやるよ!」
「ありがとうございます」

間もなくして、男たちは作戦会議を始めた。
蘭はその様子を少し離れたところで見つめることしか出来ずにいた。

「あの、具体的な作戦を聞かせてもらえますか?」
「ああ。ここにいるのは三十人ほどしかいないが、襲撃時に二百人程度は集まる予定だ。襲撃は午前二時。監獄の裏手から一気に攻め込むつもりだ」
「なるほど。ところで、武器の方は?」
「それが、大したもんは無くって……」
その場にあった武器の数々を見ると、猟銃が数丁あるものの、そのほとんどは農機具でしかなかった。

「僕から提案があるのですが、宜しいですか?」
「おお、言ってみろ」
「出発の時間を一時間早めてはどうでしょう。その時間を使って、大渡間監獄に向かう前に、少し遠回りにはなりますが、途中にある廃兵院を襲うんです。あそこには旧式とは言え、まだ使える武器がかなりの数あります。弾薬も豊富とは言えませんが、今日の襲撃の使う分くらいならあるはずですから」
「なるほど! まずは武器を手に入れるんだな?」
「はい。それと、もう一つ。襲撃は裏手からではなく、表からにするべきです。大渡間監獄の裏手は確かに人気は少ないですが、少し進むと、あの辺りには貴族の屋敷群が続きます。それらの屋敷から私兵が出てこられては、こちら側の人数を考えてみても、不利になるのは目に見えています」
「お前、若いのに本当に頭が切れるな。よし。ここは、新一の作戦に乗ろうじゃないか!」
「「「オオオ!!!」」」
男たちの士気は、ここにきて一気に高まる。いつの間にか新一の姿は、男たちの中心に位置していた。

やがて、男たちが立ち上がった。その表情には覚悟が満ちていた。
輪の中心から抜けると、新一は山口と何事か言葉を交わし、蘭の側にいた若い男の前に進んだ。

「あの、この教会の責任者の方ですよね?」
「はい」
「当然、あなたはここに残りますよね?」
「はい、これでも神に仕える身ですので。それに、私は医者でもあります。怪我人の治療等、私にしかできないこともありますから」
「では、蘭と大地のこと、あなたにお願いしても宜しいですか?」
「ええ、もちろん」
「ちょっと待ってよ、お兄ちゃん! 僕を連れて行ってくれないってこと?」
「ああそうだ」
「どうしてだよ? 父ちゃんと母ちゃんが死んだ今、姉ちゃんを助けられるのは俺だけなんだぞ?」
「なあ、大地。お前の両親や姉ちゃんは、お前に武器を握らせて、人を襲え!とでも教えていたのか?」
「ううん。でも……」
「お前のその小さな手は、武器を持つにはあまりにも小さ過ぎる。でも、その手だっていずれは大きくなり、そして、お前は大人になる。その時までに強くなれば良い。それこそ、誰の手も借りずに、姉ちゃんを守れるくらいにな」
「でも……」
「お前の死んだ両親だって、お前のその小さな手を汚すことなど望んでなんかいないはず。それは、姉ちゃんにしても同じこと。俺なんかが言うのも変な話だが、親が望むのはいつも子供の幸せだから……。どうせ、監獄の中ではろくなものも食わしてもらってないはずだから、大地は姉ちゃんのために何か美味いものでも用意しておいてくれ、な? お前の代わりに、必ず俺が姉ちゃんを連れ戻してきてやるから!」
「……うん、わかった」
「よし! ってわけだ、蘭。大地を手伝ってくれるか?」
「もちろん」
「それと、たぶん、みんなが戻ってきたら、ここは怪我人で溢れ返る事になるだろうから……」
「わかってるわ」
「悪いな、すっかり巻き込んでしまって……」
「そんなことはいいの。それより、必ず大地君のお姉さんを助け出してあげて? そして、必ず戻ってきて?」
「ああ、必ず……」

外は既に日も暮れ、完全に闇に包まれていた。
不気味なほどの静けさと共に――――

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