旬の八千代市(公園散策)

2016年「新新川風景」                
2015年「新川の四季」 2014年「学びの庭」 2013年「小さな社」 2012年「道端の石造物」 2011年「八千代の水辺U」
2010年「八千代の八駅」 2009年「八千代の水辺」 2008年「団地の四季」 2007年「花園・花壇」 2006年「街角風景」
2005年「公園散策」   2004年「文化を追って」   2003年「街路樹・並木道」   2002年「ふるさと50景」   2001年「旬の八千代市」
公園の歴史   1.2.3月   4月   4.5.6月   7.8.9月   10.11.12月
公園の歴史   1月:松・竹   染井吉野   4月:新緑   7月:   10月:
今後の公園   2月:梅・椿   八重桜   5月:つつじ・ばら   8月:   11月:
公園マップ   3月:梅・こぶし   花水木   6月:あじさい・   9月:   12月:

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公園の歴史公園制度の始まりが明治6年「太政官布達16号」と言われております。江戸時代に大衆がよく利用していた寺や神社の境内など、たとえば上野の寛永寺などの境内から税金をとらないことにしたのがこの布達の趣旨ですが、読み替えればまさしく「公園」です。
 物見遊山という言葉がありますが、江戸時代は、水郷、浜遊び、近郊、蒲田の梅林、亀戸の梅屋敷など、今で言う公園として、日本人の生活文化の形としてしっかりと組み込まれていたのです。
 都市型公園として都市計画に公園計画が始まり、その第1号が「日比谷公園」です。その日比谷公園は明治36年に仮開園しております。明治15・6年ぐらいから20年近くかけて、いろんな案が出され、結局、ドイツの風景式スタイル方式が採用され、今日の日比谷公園となって行きます。この日比谷公園が日本の大都市の中央公園の原型になってきました。
 昭和31年に「都市公園法」ができます。上野公園に美術館が建てられた様に公園用地が施設建設の格好の地になることがずっと続いたために、土地の公物管理を狙った法律でもう約50年もたちます。
 平成2年(1990年)に「大阪の花と緑の博覧会」が開催しましたが、万博の歴史に革命をもたらしました。国が経済力と技術力を誇る博覧会から市民が喜び楽しむ博覧会に転換したのです。このことによって「花と緑文化」も市民権を得ることになりました。公園以外にいろいろな緑や農地、里山を扱う時代になりました。横浜市では公園と緑地と農地を一緒にセットし、公園の土木・建設の世界から緑地や農地という緑をターゲットにいれました。国ではそれも参考に「市民緑地」という言葉を作り出しました。「市民農園」もその流れにあります。
新しい時代の公園緑地政策東京農業大学学長の講演のインターネット記事を掲載。
(1) 緑を味わう時間を倍に
 日本の都市は、海外の諸都市と比べて、1人当たりの公園面積が極めて少ない。しかし、10平米ぐらいを大体満たすぐらいになってきたのです。建設省の政策大綱では20平米を目標にすることになっています。もちろん世界的に見れば30、40平米ぐらいの都市はたくさんあるわけですが、一応量は増えてきたわけです。それはもう限界だということを私はずっと言ってきた。利用者の満足度や公園の利用の活性化、これを緑地生活という言葉を使っているのですが、いかに充実したグリーンライフがエンジョイできるかということを考えることが必要です。物理的な量としての緑地が増えないのなら、緑を味わう方を倍にすればいいのではないか。1日に5分しか緑とつき合っていない人が、10分つき合うような生活スタイルに変わればいいわけです。緑地を倍増するのではなくて緑の利用を倍増する。緑から受けるインスピレーションを倍にする。暮らしやすさの指標を、そういう考えに変えることもできると思うのです。
(2) 新しい時代の公園緑地政策
 国のレポートでは、新しい時代を「環境の時代」、「市民参画の時代」「再構築の時代」「成熟化社会の時代」の4つに分けています。私なりに既存のストックをいかに有効に活用するか、などの視点から考えてみます。
 
1. 公園コンセプトの再構築
  ア. 何でも公園、おもしろ公園
 これからは公園というコンセプトをどう変えるかということが問われます。公園は一品生産が特徴です。地域が違う、地形も違う。そこに生えている木も違うし、子供が多い地区もあれば老人が多い地区もある。公園のデザインには多様な評価尺度が要ります。美しい公園がいいとは限らない。あるいはアクティブなスポーツ空間でなくてもいい。形も三角でも丸でも長四角でも、帯状でも、川の跡でも、海岸べりでも、農地でも、谷戸の斜面緑地でも、何だって公園にできる。「何でも公園、おもしろ公園」と称しているのですが、公園は社会的なものに対応する非常にフレキシビリティの高い空間です。環境教育、スポーツ、健康、福祉、深く瞑想する宗教的空間でもいい、ディズニーランドのようなアミューズメンタルな空間でもいい、生ごみを埋めたり、土に戻す、地域の街区公園は、環境再生センターにもなる。そこで共同作業をすれば、それは即コミュニティセンターにもなるわけです。
 公園は、ありとあらゆる生活行為に全部対応できる。公園という空間はうまく使えば非常に便利な場です。最初は実験公園と称して、市民意識の高いところで工夫し、実績を積み上げていくことが必要です。
  イ. 日本型オープンスペース計画論
 マスタープランでは、緑地帯や公園の配置計画をつくりますが、現実の都市は誘致距離の中で動いてはいません。高速道路が通っていれば、そこに川があるのと同じで行けません。適正距離に公園を造ろうとしても用地があるわけではない。そこで、私は出物主義と言っているのですが、病院がつぶれそうだとか、学校が統合して廃校になるとか出物を頂戴する。それから警察署とか役所の構内の庭や駐車場も町の中の広場の一つと考える。これを頂く、借りる。つなぐ。公開緑地とか公開空地を、そう考えればよいでしょう。出物から頂き物、あるいは勝手に使わせてもらうもの、そういうものをつなげて、オープンスペースをつくる。ブロック塀を外して、1メーター5万円出せば生け垣になって、用地買収なしでも緑は増やせるのです。そういうことを総合的にやれば、オープンスペースはできていく。これが私の日本型オープンスペース計画論です。
 議論の主題の成熟社会の暮らしやすさは、オープンスペースのみでなく地域の歴史、自然、社会・文化的なストックをすべて地域資産と呼び、評価し、つないで活用していくことで得られるのです。
2. 管理・運営の時代
  ア. 住民の自主管理の時代
 日本型公園のスタートは、鎮守の森もひとつの形だと考えます。先ほどお話したように、昔は、社寺境内地は、その管理や相撲大会や縁日とかのイベントなどの運営も市民によってなされてきたのです。イギリスの公園の発祥はコモンスペースですが、これも実は教会の裏庭みたいなものの共同利用から始まりました。コミュニティができると広場が要るのです。それが公園というものです。そういう原則に立てば、街区公園は、地域の人にとって最も身近なコミュニティスペースです。これをみんなで管理するのは当たり前のことなのです。公物管理は役人が行うという大原則がありますが、いかにして、市が手を引いて住民に渡していくか。これが管理運営時代の公園のあり方だと思います。
  イ. PFI事業手法の導入
 実は現在、私が考えているのはPFIに近い発想です。例えば向島百花園というのは、佐原鞠塢という商人がつくった有料園地です。梅をたくさん植えて、その梅の木も実は他人からの寄付によるものでした。いろいろな文化人が引っ越し記念で植えたのです。春一番最初に咲くのは梅ですから、大勢お客が来るのです。弁当を持ってきて、緋毛せんの縁台を出して、茶を飲ませてお金を取る。楽焼きもやるのです。ソフトウェアはいろいろあるのですが、入場料を取る。今の時代、横浜市の公園でも、この発想を生かし、管理・運営を民間会社と契約し、会社は公園の施設を活用し、喫茶店でもピザハウスでも画廊でもいい、商売をする。市には、使用料を支払うというPFIの事業手法も可能性を広げるでしょう。市税の負担は少なく、サービスの向上は間違いないと思います。
 さらに、「パークマスター」という言葉も国の議論の中で印象に残っています。ある一定規模以上の公園に一人パークマスターをおいて、その人が地域の住民と話し合いながら、公園の具体的な運営を行う、そのような人材も公園の活性化には必要でしょう。ともかく、制度も組織も事業手法も既成の概念にとらわれず様々な実験を試行してみる時代です。

準備中、相当しばらくおまちください。
 

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