旬の八千代市(道端の石造物)

各年度のテーマに移行する場合は「石端の石造物」のトップページから。ここをクリック。


はじめに 1月:飯綱神社下の庚申塔群 2月:郷土博物館付近の庚申塔 3月:春の息吹の馬頭観音群
4月上:椿咲く尾崎の子安塔群  4月中:桜爛漫下の子安講塔  5月:つつじ咲く無縁法界塔 6月:紫陽花咲く庚塚の道祖神 
7月:竹林の中の仏像群(神野) 8月:炎天下の道標馬頭観音 9月:残暑の中の雷神社(麦丸) 10月:地蔵と南無遍路金剛塔
11月上:千葉市境界の庚申塔 11月中:たった一体の石仏が 12月:新川背景の社型石造物 取材を終えて
追加13/8:梨園沿の馬頭漢音      


4月上:椿咲く尾崎の子安塔群
 真新しい献花のこの子安塔と思われる4基の石塔群の両脇には自然に生えた椿の花と梅林が咲き誇っている。この風景を入れての写真は右のようになるが椿の花は左側、白の梅林は右端に映っているがわかるだろうか?
なりよりも石塔群の確認も難しい。写真の矢印が石塔群でその右側に梅林が広がる)。
 この「道端の石造物」の企画を思い立ったのは「八千代の水辺U」の花輪川を探索途中、尾崎橋から少し離れたひっそりとした道端のこの石塔を発見したのがきっかけである。また、八千代台にお住まいの田中英雄氏から頂いた「里山の石仏巡礼」の影響も相当に大きい。(4月2日 取材)
4月中:桜爛漫下の子安講塔
 この石塔を見て、桜の季節が似合うと思いその時期をまった。ところが昨年の東日本大震災での新川液状化現象を受けての土手の補強工事で桜の木が根元付近からばっさりと切られてしまった。写真でもその様子が伺えるでしょう。本来なら桜の枝がこの石塔までかかっていたのに。
 桜爛漫下のこの石塔は村上橋の麓にあるが風化が激しく碑文は読めない。仕方なく諦めながらインターネットで検索してみた。すると『・・実はこの塔はその銘文から八千代市萱田上区の女性たちが建てた産死者の供養塔で、他の水難者供養塔とは性格が異なることが分りました。この塔の碑文は風化が激しく断片的にしか読みとれませんが、かろうじて次のような碑文が残されています。・・・』とあった。新川、村上橋のすばらしい桜に『石塔』などに気が付くことはあるまいが、もし気が付いたら是非興味を持って調べてほしいものである。((1月8日 取材)
5月:つつじ咲く無縁法界塔
 国道296(成田街道)の「市役所入り口」十字路数メートル先左側(成田方面に向かって)に戦後最初の首相を務めた東久邇宮殿下の別邸と言われる館に開業した「そば屋」がある。このそば屋入り口に「無縁法界塔」なるのもがある。写真右下に映っているがわかるだろうか。
 八千代市の木「つつじ」の花が咲いていたので今月の紹介とした。食事に立ち寄ったとき従業員に言われなど伺うのも一つの話題になるだろう。(5月1日 取材)
6月:紫陽花咲く庚塚の道祖神
  国道296(成田街道)の「市役所入り口」十字路、今回は船橋方面へ十数メートル先右側のバス停庚塚に道祖神と書いてある真新しい鳥居がある。鳥居の奥には小さな社の中に2体の石造物と外に1体の石造物(写真)が安置されている。石造物の右側には大正六年十月吉日と記されており、左右には紫陽花が咲いていた。
 歩道から全体を撮影するには近すぎて出来ない。そのぐらい道端にある石造物だ。社を含めて3体の道祖神がもっともふさわしいと感じたが、このシリーズは社を除いた石造物を追い求めたい。(6月1日 取材)
月毎に順番に取材して行きます。7月以降は上記項目をクリック下さい。

back