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新川風景を守っているのは神々か?神々は新川風景を守りきれるか?周辺の神々を尋ねて見る。 |
10.弁財天 | ||||||||||
新川両岸の田園風景に続く森林風景が新川の財産であろう。その森林群がビル群に変わろうといているのを懸命に神々が守ろうといている様に見えるが守りきれるだろうか。新川周辺の神々を尋ねながら新川の風景を紹介してみたい。 長福寺(米本)と言えば 1 551年創立といわれ、米本城主村上綱清の菩提寺である。その墓石および教育委員会の案内版を右手写真の5・6段目に紹介しておこう。 この寺で注目したいのは、入り 口左側に立つ高さ2mの石柱(1838年に建てられたもの)で、「禁芸術売買之輩」 と彫られている。俗世間の“塵”である「芸術売買の輩」は入ってはいけないという 意味とのことであるが、この種の石碑があるのは曹洞禅寺に限られ、千葉県内には他に長生郡 南町に1基あるだけで戒壇石という(写真は右側最上段)。もう一つ注目したいのは板碑である。山門の左手から20数枚出土し、現在は山門左手に案内版がある(写真は右手最下段)。 弁財天についてインターネット等で調べてみると、下記の趣旨のようである。 『弁財(才)天(べんざいてん)は、仏教の守護神である天部(*1)の1つであり、ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名である。日本では「才」が「財」の音に通じることから財宝神としての性格が付与され、「弁財天」と表記する場合も多い。本来、仏教の尊格だが、日本では神道の神とも見なされている。弁天とも言われ、七福神(八千代では八福神)の一員である。仏教においては、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視されることがある。 *1:仏教の信仰・造像の対象となっている、広い意味での「仏」は、その由来や性格に応じ、「如来部」「菩薩部」「明王部」「天部」の4つのグループに分けるのが普通である。「如来」とは「仏陀」と同義で「悟りを開いた者」の意、「菩薩」とは悟りを開くために修行中の者の意、「明王」とは如来の化身であって、説法だけでは教化しがたい民衆を力づくで教化するために恐ろしい形相をしているものが多い。以上3つのグループの諸尊に対して、「天部」に属する諸尊は、仏法の守護神・福徳神という意味合いが濃く、現世利益的な信仰を集めるものも多数存在している』 と。 弁財天側から新川風景を見るとどうなるか。山門に登って撮影してみたがあまりパットしなかったので、隣りの高台にある霊園から新川の風景を撮影して見た(左側最下段)。電線が邪魔になるが素敵な田園風景である。残念なのは新川の水が見えないことである。両岸の千本桜で新川の位置は明らかであるが・・・。写真でわかるであろうか。矢印を入れてみた。 楽器を持った弁財天の力で新川の清き風の音で曲を流してほしいものである。新川風景を守れる曲を。 |
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