新 川 風 景 (新川と神々
   

1.水神宮 2.浅間神社 3.巌島神社 4.毘沙門天 5.寿老人 6.熊野神社
7.御岳神社 8.飯綱神社 9.七百餘所神社 10.弁財天 11.日枝神社 12.福禄寿
新川風景を守っているのは神々か?神々は新川風景を守りきれるか?周辺の神々を尋ねて見る。

7.御岳神社
 新川両岸の田園風景に続く森林風景が新川の財産であろう。その森林群がビル群に変わろうといているのを懸命に神々が守ろうといている様に見えるが守りきれるだろうか。新川周辺の神々を尋ねながら新川の風景を紹介してみたい。
 
 御岳神社の石柱と鳥居は新川遊歩道から見えるが、写真ではこの位の大きさの写真でようやく分る程度である。御覧の如く、鳥居から本堂までの神社林は土砂崩れ防止工事で伐採されているため、風景としては好きではないが、本堂からは新川の風景が見下ろせる。本堂の一部を入れて新川の風景を撮影したのが左の写真である。石柱と鳥居をその下段に紹介する。
 城橋から印旛方面に新川の右側の遊歩道に最も山が近付く当たりで右手に御岳神社の石柱が見えてくるので分り安いが念のため上記の風景を参考にしてほしい。農道を石柱に向かって進むと写真右側最上段に示す御岳神社を示す石柱がある。道路のカーブのため、自動車に注意して裏参道(写真2段目)を上ると講善弘開霊神の碑と島村兼吉翁之碑(写真:右側3段目)が左手にある小さな広場(写真:右側最下段)に出る。広場の右手奥に本堂があり、本堂の左手に御岳神社再建記念碑(平成9年3月)・御岳登山記念碑(昭和6年12月)・御岳山献地記念碑(昭和12年4月)がある。前方には鳥居があり、新川の風景が見渡せる。本参道と思える階段を下りていくと民家となる。本堂の右手が小山になっており、この広場の最上段になるが、そこには清瀧大伸の碑(明治三十二年十一月三日)と内己貴命(おおなむちのみこと)・国常企命(くにのとこたちのみこと)・少名彦命(すくなひこのみこと)の3命の碑(明治二十四年十一月十五日)(写真:左側最下段)が祭られている。
 御岳神社は、日本武尊が東征の際、邪神の妖霧によって道に迷ったとき、案内してくれた白狼を神使として祭ったと言われている。
 創建は大十代崇神天皇七年と伝えられ、ふるくよりの関東の霊山として信仰されてきた様で、山岳信仰の興隆とともに、中世関東の修験の一大中心として、鎌倉の有力 な武将たちの信仰を集め、御嶽権現の名で厄除、延命、長寿、子孫繁栄を願 う多くの人たちの参拝によって栄えたとのことである。
 社殿の狭い広場(右写真最下段)では 護摩木(ごまぎ)を燃やして、村民の厄除、延命、長寿、子孫繁栄を願う行事を行ったことだろう。再建の碑は平成9年3月だから、今から9年前のことである。現在も何らかの行事があるのだろうか?また、再建当時はどんな気持ちで地区民がまとまったのだろうか?興味はつきない。
 砂防工事による景観をなんとかできなものだろうか。これも御岳神社にお願いするだけしかないのだろうか。 霊山の雰囲気に戻ってくれたら景観もかわるのかも知れない。

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