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新川風景を守っているのは神々か?神々は新川風景を守りきれるか?周辺の神々を尋ねて見る。 |
5.寿老人 | ||||||||||||
今月は先月に続いて八千代八福神の一神がテーマで、先月の毘沙門天の丁度新川対岸に当たる長福寺に安置されている「寿老人」を扱う。新川流域では長福寺はここ萱田の一箇所ではなく、10項で扱う「弁財天」を安置している米本の長福寺もある。 寿老人が安置されている萱田の長福寺は朱塗りの門から「赤寺」とも呼ばれる真言宗のお寺であり(写真:右側2段目)、入口には仏の世界と現世とを分ける六地蔵が安置され(写真:左下最上段),境内には寛文9年(1669年)の念仏講と二十三夜講の際に作った県内でも珍しい石造りの三重の塔がある(写真:左下2段目)。また,本道正面の左右には銀杏の木が植えられている(写真右真ん中)。八千代市指定の「保存樹木」に指定されているだろうと「表示」を探したが探せない。「保存樹木」には指定されていないのだろう。秋が深まれが紅葉し見事である(写真右下から2段目)。
「史記」には、老子は周に仕えていた役人で、賢者の名声が高く100歳を超えた頃に、「周はもう、ダメだ!」と思ったらしくインドの方へ旅立ってしまったんだそうである。その道すがら関所で会った役人に、老子の教えを書き残してくれと頼まれて書いた本が「老子道徳経」ということらしい。道教は中国の土着的、伝統的な宗教というか思想体系だから、古事記などの神話に相当するものなんでしょうが、その中に人はいかに生きるべきかが説かれているとのことである。 死後の世界云々ではなく、自分の人生を追求し、宇宙や人生の根源的真理と一体になることを究極の理想としているので、そのための修行の結果として不老不死になれとか。そう考えると、単に長寿ということではなく「いかに良く生きるか」という点で、忘れてはならないのが寿老人かもしれません。私も寿老人にお願いしながら、新川風景が市民の癒しの場であり続ける様に微力ながら問題提起続けて生きてゆくのだろうか。 左側の写真は上から入口右に安置されている「六地蔵」、2段目が石で作られている「三重の等」、3段目が「巡礼札所めぐり」の札所を示す石造、反対側には番所もある。最下段は赤門の右側の案内版の更に左側に設置された八千代市の「ふるさと50景」の案内版。 右側最下段の写真は長福寺門前の道路から数メートル奥(新川より)に入り新川を撮影したものである。写真の如く新川対岸の森林が見える。要するに新川と寿老人が安置されている長福寺の間には住宅と田畑が存在だけであり、小高い森林の下にある田畑の真ん中を流れる新川の風景を戻すには、まだ間に合いそうである。いま新川(心川)を取り戻す最後の時期かも知れない。寿老人と県の公園づくりに期待したい。 |