新 川 風 景 (新川と神々
   

1.水神宮 2.浅間神社 3.巌島神社 4.毘沙門天 5.寿老人 6.熊野神社
7.御岳神社 8.飯綱神社 9.七百餘所神社 10.弁財天 11.日枝神社 12.福禄寿
新川風景を守っているのは神々か?神々は新川風景を守りきれるか?周辺の神々を尋ねて見る。

2.浅間神社
 新川両岸の田園風景に続く森林風景が新川の財産であろう。その森林群がビル群に変わろうといているのを懸命に神々が守ろうといている様に見えるが守りきれるだろうか。新川周辺の神々を尋ねながら新川の風景を紹介してみたい。
 1月は日の出風景の良い水神宮を訪ねたが、今月は現在最も注目を浴びているだろうと思われる浅間神社を訪問する。浅間神社は新川周辺には2箇所ある。一つは村上地区の開発で道路からは見えなかった社やイヌザクラが裸同然となり丸見えのとなった村上の浅間神社(右写真、最下段)である。これではいやおう無く注目される。もう一つはホタルの里の奥にある米本の浅間神社である。どちらの浅間神社の鳥居も新川土手から見える。鳥居には浅間神社と明記されているのですぐ分る。
 浅間神社は
「あさまじんじゃ」とも「せんげんじんじゃ」とも呼ばれ、木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を主祭神とし、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)を総本社とする神社である。日本全国に約1300社もあるとのこと。富士山信仰と結びつくものであり、富士山の周辺や富士山が見える関東一円を中心に分布しており、関東では、富士塚と称する富士山を模した築山の山頂に祀られていることが多いそうである。「あさま」は火山を意味する古語で、火山の神を祀る神社という意味で浅間神社と名附けられたそうである。
 村上の浅間神社は現在の宅地開発により、村上橋上のブロンズ像「緑」からもすぐ判るようになったが、写真左上でも明らかなように、八千代市の文化財に指定されている「イヌザクラ」が目標物に良い。その真下に浅間神社の社があるが((右上写真の下から2段目)、最近立て替えられた社には何故か「ありがたみ」が感じられない。必死で新川の風景を守り続ける神が人々に行く末を暗示しているのだろうか。神社林も孤立状態となった(右上写真の最下段)。せめて、昨年から始まった、「ボランティア団体、新川お花畑委員会が栽培した菜の花で心を癒してほしい。
 左側の写真でほたるの里の右側に見える鳥居が判るだろうか、新川からは注意をすればもっと見やすいが写真ではこの程度が精一杯である。新川の城橋と八千代橋の中間あたりにほたるの里の道しるべがあるので、迷わずに行ける。鳥居を潜り急階段を登ると社がある。その右側には小さなお庭があり、庭の周りに石碑が並んでいる(左写真4枚)。この石碑にもそれぞれ歴史があり、また、この小さなお庭での催しものがどんなものだったかも興味がそそられるが調べきれていない。神符焼納祭(どんと祭)などが行われたのだろうか。それにしては狭すぎるような気がする。木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)は安産・子育ての神と言われているから、安産祈願や七・五・三などのが催しものがあったのだろう。昔の風習を想像するにはとても良い空間を提供してくれる小さな米本の浅間神社である。
 この米本の浅間神社近くに乳清水の鳥居がある。乳清水は神社鳥居の直前のほたるの里の入り口右側に鳥居と言われを書いた石碑があり、この清水で粥を作って産婦に食べさせると湧き出るように乳が出るという言い伝えがあり。一時枯れそうになったが、現在、数か所から湧き出ているとのことである。(「八千代市の文化財9版」参照)
 子育ての神、浅間神社がここに祀られた理由は定かではないが、乳清水伝説も影響したのだろうか。これも興味深い案件である。
 いずれにせよ、村上の浅間神社も米本の浅間神社も富士塚を思わせる小高い場所にあり、富士山を眺めるには最適の場所でもある。現在、両浅間神社からは富士山は見えないが、昔はこの浅間神社から富士山が眺められたような気がしてならない。
 最後にせめて米本の浅間神社は開発から逃れて新川の田園風景を守り続ける守り神であってほしい。いつまでもほたるが舞う新川として。
 右側の写真は乳清水の鳥居と石碑。


 

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