新 川 風 景 (新川と神々
   

1.水神宮 2.浅間神社 3.巌島神社 4.毘沙門天 5.寿老人 6.熊野神社
7.御岳神社 8.飯綱神社 9.七百餘所神社 10.弁財天 11.日枝神社 12.福禄寿
新川風景を守っているのは神々か?神々は新川風景を守りきれるか?周辺の神々を尋ねて見る。

3.巌島神社
 新川両岸の田園風景に続く森林風景が新川の財産であろう。その森林群がビル群に変わろうといているのを懸命に神々が守ろうといている様に見えるが守りきれるだろうか。新川周辺の神々を尋ねながら新川の風景を紹介してみたい。
 今月は村上の浅間神社のすぐ傍の巌島神社を尋ねる。巌島神社は八千代八福神の毘沙門天のある正覚院の門前にある。巌島神社と正覚院の間には道路があり、左の写真のように神社林に境界ができる。村上橋から撮影したのが右側一番上の写真で、巌島神社の神社林には矢印をつけたが分るだろうか。村上橋を渡り、宮内方面へ左折し、坂道を登る途中に正覚院の案内がある。そこを左折すると右側が正覚院、左側に鳥居がある。
その鳥居の奥に小さな社が見える。これが巌島神社である。社の左側には木板が飾られているが、絵も文字も見えない。右側の木板には文字が記載されているが記録して来なかった。周りは堀に囲まれ、堀内の魚は取らざるべしの立てカンバンがある。しかし、魚が住んでいるようには見えない。堀は巌島が島であることをイメージしたのだろうか。
 
厳島(いつくしま)と言えば、瀬戸内海広島湾南西部の島であり、通称は宮島と呼ばれている。日本三景のひとつで、いわゆる「安芸の宮島」である。大鳥居と海上に浮かぶ社殿で有名な厳島神社は世界遺産にも選ばれている。また、「厳島」としては、1952年(昭和27年)に国の文化財として特別史跡及び特別名勝に指定されている他、1934年(昭和9年)より周辺海域(瀬戸内海)を含め島全体が瀬戸内海国立公園に指定されている。また歴史的観点から見ると、厳島神社のある宮島は、古代より島そのものが神として信仰の対象とされてきた。推古天皇元年(593年)に土地の有力豪族であった佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのに始まると伝わる。文献での初出は弘仁2年(811年)で、延喜式神名帳では「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載され、名神大社に列している。厳島神社は、時の為政者から庇護を受けてきたが、中でも平家一門とりわけ平清盛との関わりを抜きにして宮島の歴史を語ることはできない。清盛は、久安2年(1146)まだ29歳の時に安芸の国守に任ぜられ、その在任中に父の代理として高野山の大塔修造の事業を成し遂げたが、その後高野山参詣の際、夢の中に現れた老僧のすすめに従って、現在の厳島神社を造営したといわれている。平家一門の隆盛とともに当社も盛え、平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けた。戦国時代に入り世の中が不安定になると社勢が除々に衰退するが、毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収め、厳島を含む一帯を支配下に置き、当社を崇敬するようになってから再び隆盛した。元就は大掛かりな社殿修復を行っている。豊臣秀吉も九州遠征の途上で当社に参り、大経堂を建立している。
 この巌島神社が八千代のこの地に建立された時期と背景は何だろう。興味が湧いてくる。
 鳥居の脇の「むくの木」は八千代市指定の「保存樹木」(指定番号 第10号)であり、昭和51年2月24日指定の案内が有る。これには幹周り2.31mとある。「緑を愛し、美しい環境を育てよう」との明記もある。皆んなで育てて行きましょう。写真では右側上から2段目の鳥居の写真で、写真の手前に写っている幹がその「むくの木」である。
 改めて新川流域の地図を見ると巌島神社は他に2箇所あることが分った。一つは下市場と村上橋の中間に位置し16号沿いの村上にある巌島神社。もう1箇所は桑納にある巌島神社である。16号沿いの巌島神社は既に住宅街になっており、新川風景を守る立場ではない。16号向こう側には千葉有数のショッピングビル「ふるる」があり、山田電気のビル等がある。新川側には新川風景の絶賛を歌い文句に売り出したマンションがある。新川側から見るとこのマンションで巌島神社は何も見えない。これらのビルの谷間の小さなオワシスになるのが精一杯であろう。写真も工事中の柵で思う様には写せなかったががっかりしないで見てほしい。(左側写真3枚)
 桑納の巌島神社は新川から見ると道路建設と見られる工事で無残な姿に変わるかも知れない状態である。左側写真のP2・P1と工事後(?)が見え、巌島神社付近の現工事中の風景は道路建設だろうか。地図を頼りに近くまで行ったが巌島神社は探せない。地図で示す場所には「ふるさと50景」42番「薬師堂」がある。石段の途中に石碑があり、そこに「巌島神社」の名が刻まれているから、地図上からの位置と併せて、ここが地図上の巌島神社で間違いが無かろう。石段を登ると正面に「薬師堂」があり、左手に市指定の銀杏の老木がある。石段の最上段から左に入ると直ぐに先ほど話した工事現場がある。薬師堂に入らず、本道を睦小学校方面に進むと、本道右側の細い道の右側に新川を一望出切る箇所がある。右側の写真がそこから写した「八千代橋と米本団地の風景である。
 桑納の巌島神社の社殿は無かったので、例の石碑と薬師堂の写真を紹介しておく。(左写真最下段2枚)
 新川沿いの巌島神社は世界遺産に選ばれた宮島の巌島神社と違って、己の社を守る力も尽き果てた様だが、その神に願うしかない哀れな人間がいることを忘れないでほしい。新川の緑の風景を守ってくれ。(宮島の巌島神社の歴史等については各種サイトを参照したことをお断りしておく)

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